利用者‐会話:竜造寺和英/過去2利用者ページの削除依頼について利用者ページを削除依頼されているようですが、これは、即時削除の方針#利用者ページに書いてある通り、即時削除を依頼することが可能です。また、私がやったように、利用者ページを別のページに移動し、最新版を利用者ページにコピー、移動されたページを即時削除依頼という手法もあるかと思いますので、あわせてお知らせいたします。--通 2007年7月28日 (土) 10:36 (UTC)
石井組関係の記述について返信が大変遅くなり、申し訳ございません。 当方、パソコンに詳しくないためどうやってお返事すべきか分からず、今日に至ってしまいました。 何分、年のためひとつの事を覚えるのに時間がかかってしまい、ご迷惑をおかけしているかと存じますが、事情を汲み取っていただきご配慮頂ければ幸いです。 さて、本題の石井組関係の記述のことですが、私の情報源は「私自信」です。 私は、昭和43年頃石井組の準構成員となりました。 従って、当時は末端の組員であり初代からは杯は受けていません。 私が杯を下ろされたのは、2代目秋山氏が組を継承し、稲葉氏、宮脇氏、川近氏が神戸の本家から直参に取立てられた頃です。 私の部屋住み期間は、初代が健在の頃の40年代後半ですが、この頃この記事の中にある事件の事やその裏側等を、先輩組員(兄貴分)や本人たちから聞かされました。 事件の真実については、各当事者が自分の武勇伝的に話したり、関係者の思惑が入混じっているので、多少の食い違いがありますが、ここの記述についてはかなり誤りがあります。 どのような内容かは、私の身分の特定ややくざ世界独特の掟によって話すことは出来ません。 しかし、貴殿が事実を多少なりとも知る方方法はあると思います。 貴殿は、この記述のよりどころを「実話」や「飯干氏」の雑誌や本等に求めているようですが、それが事実かどうかご自信で調査されましたでしょうか?。 マスコミ等の記事が真実とは限らないと思います。 まず、事実を知りたければ当事者に確認されてはどうでしょうか。 ただ、この頃のことを知る組員は、現在の石井組にはほとんど残っていませんが、当代の江口氏や、顧問の角野氏は当時のことをよくご存知です。 特に、角野氏は高千穂号事件の当事者でもあるので、真実を話してくれるかも知れません。 また、大分県日田市天ケ瀬に、2代目から絶縁処分を受けた高橋氏が健在です。 この高橋氏は、非常に気さくな方(口が軽いとも言いますが)なので、尋ねていけばまず間違いなく当時の事を話してくれると思います。高橋氏は、初代の兄弟分であり、なおかつ、角野氏と荒木氏の兄貴分でもありますので、当時を知る数少ない方だと思います。 次に、高千穂号事件のことですが、上記の事から察しがつくと思いますが、私自身、荒木氏や角野氏の放免に出席しました。 この事件に関わった人間は何人かいますが、直接手を下した2名は荒木氏、角野氏です。荒木氏は、出所後かなり不遇な扱いを受け、大川市の浜田会に身を寄せていたところを、組の功労者に対してあまりの仕打ちに高橋氏が貰いうけ、自身の舎弟としました。高橋氏の絶縁後は、福岡等に住んでいましたが、その後は大阪の「酒梅」に身を寄せました。その「酒梅」でも色々あったとの事ですが、現在どうしているかは私も知りません。 角野氏は、高橋氏の絶縁後、井根兄弟の戦争にもあまり関与せず、ほとんどの高橋組関係者が破門や絶縁となる中、2代目石井組の若頭だった江口組預かりになり今日にいたっています。 最後に、石井組関係者で組のために長期服役をした者は、ほとんどが荒木氏のように出所後冷遇されています。 初代が生きていればこのようなことにはならなかったのでしょうが、多くの者が先代の没後に出所したため、2代目や当時の幹部クラスには煙たい存在だったようです。 その中でも、荒木氏と富永氏の扱いはひどかったと覚えています。 それ事だけが理由ではないのですが、初代の没後は秋山派と稲葉派は完全に分かれていました。2代目の当時の若頭に橋本氏が付きましたが、この方はかなりの人物でした。この橋本氏を、稲葉一家の組員F氏等が刺殺したのが原因で、この両派の対立は決定的となり修復不可能になりました。この時の中間派が、宮脇氏と高橋氏です。この当時、川近氏は長期服役中だったので直接関与はしていませんが、出所後に高橋氏の長女と結婚したこともあって、高橋氏に近い存在でした。 歴史は、その視点によって捕らえ方は違うのでしょうが、まずはマスコミの面白おかしく書かれた記事等を参考にするのではなく、ご自身の調査によって判明した事実や真実を記載すべきではないでしょうか。 「石井一郎」の記事にも、首をかしげる部分は多々あります。 通称、「ガジ」と呼ばれていましたが、かなりのイケイケ(暴力派)だったことは事実です。 また、山本広氏とは5分の兄弟分でありましたが、山本氏は石井を「兄弟」と呼んでいましたが、石井は山本氏を「兄弟」とは呼ばずに「広」と呼び捨てにすることがほとんどでした。 これは、福岡の伊豆氏にも同じことが言えます。 余談ですが、石井は誰の前でも横になって寝て話をする癖があり、神戸の本家で山本健一氏の前でも横になって話をするので、私たちはいつも冷や汗をかいていました。また、手打ち式で小倉の草野氏の前でこれをしたときは、また喧嘩になると思いました。 この時は、草野氏も横になって話をしてくれたので事なきを得ましたが、その場が凍りついたのを兄貴分から聞かされました。(私はこのときは、外で待っている程度の下っ端でした)。 余計な話が長くなりましたが、一度ご自信で事実を調査してみたください。 大分には、湯布院など有名な温泉が多数ありますので、観光気分で来るのも悪くないと思います。 特に、高橋氏の住む天ケ瀬は温泉町なのでのんびり出来ると思います。--以上の署名のないコメントは、125.195.29.166(会話・投稿記録)さんが 2007年8月2日 (木) 08:47 (UTC) に投稿したものです(Yanokenによる付記)。 ご指摘の件についてまず、貴殿からのご指摘についてお答えします 「盃」の件については、貴殿のご指摘の通り私の誤りです。 学がないので、申し訳ありません。 次に「五つの心得」ですが、これは山口組綱領のことでしょうか。 それとも、石井の残した組是のことでしょうか。 このようなものは、いくつも事務所内に掲示されていましたが、何をお尋ねなのでしょうか。 次に、組の解散の件ですが、博識の貴殿が「偽装解散」ということはご存じなかったのでしょうか。 この当時は、そのようなことはいくつかの組で行われていましたが、石井組もそのひとつです。 ちなみに、解散声明を出したとたんに、組員等は堅気になって正業に付いたとお考えなのでしょうか。 逆に、石井が組の再結成を宣言したとたんに、電撃的に堅気から極道に戻ったとお考えなのでしょうか。 石井が村上氏(小倉)と縁があった関係で、石井組は神農会にも強い力を持っていました。 その為、組内には的屋でしのぎをしているものもいましたが、その者たちは解散時は的屋をしていなかったとお考えですか。 解散声明を出すということは、組事務所の表の代紋を降ろすということで、事務所内には以前と同じように提灯や札は掛かっています。 組員等のしのぎが、変わるわけでもありません。 以前と同じように、別府の本部には同じような者が詰めていました。 そこに出入りをしていた1人が、私です。 貴殿からの質問に対して、十分に満足いく回答ではないでしょうが、これが私からの答えです。
貴殿は、重箱の隅をつつくように粗をお探しのようですが、ご自身の調査は行ったのでしょうか。 貴殿への指摘については何も触れられていませんが、その点はどのようにお考えでしょうか。 私には、貴殿が話を摩り替えているように写るのですが。 詰まるとこる、「実話」等の劇画的に書かれた(歪曲された)伝聞しかご存じないので、都合の悪いことや知らないことを尋ねられると、話を摩り替えて相手の粗を探し攻撃的な質問をするということでしょうか。 以前、オウム真理教に上祐という話を摩り替える名人がいましたが、貴殿の会話でそのことを思い出しました。 私は、ただ真実を書いただけで、貴殿と議論をするつもりはありませんでした。 逆に、貴殿とは友好的な関係で石井組の歴史の一部をお伝えしたかっただけです。 現に、貴殿からのご指摘以降、私は石井組関係の記事の修正を行っていません。 しかしながら、貴殿は他人の言うことやご自身の考えにそぐわない者には、聞く耳を持たないということがよく分かりました。 つまり、了見の狭い器量のない男だということです。 このことについて、私がこれ以上貴殿とお話しすることはないと思います。 また、記事に修正を加えることもないと思います。 どうぞ、貴殿の思う道をお進みください。
田岡一雄に関して田岡一雄の編集に関してなのですが、わざわざ可読性を保つ為に編集を行った方がいらっしゃるのに、理由も無くこのようなリバートを行ったのでしょうか? 正直申し上げてしまうと、貴殿の編集は、ただ時系列順に出来事を並べているだけで大変読み辛いです。その為、整理依頼に提出されているほどなのです。また、本人の出来事と関係のないことまで記述されていて無駄が多いです。今一度、編集の方法を変える事を検討していただけないでしょうか。--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年8月10日 (金) 02:02 (UTC)
ご忠告貴殿は複数の方から指摘されているように、小説などの受け売りやネットから拾った安易な情報をさも自分の情報のように主張・記述されているが、本当に自分で調べる勇気が無いのなら執筆をおやめになった方がよろしいかと思います。--Gorgo-13 2007年8月13日 (月) 14:12 (UTC)
削除依頼の件よそでも書きましたが、藤田卯一郎についてWikipedia:削除依頼/藤田卯一郎を提出しました。 そこで、ご協力いただきたいのですが。依頼ページで言及した2007年4月21日 (土) 18:32までの版については、出典とされている書籍の記述とどのように対応しているのかが十分明確になっていません。記事の記述の各々の箇所が書籍のどの箇所 (ページ) に対応しているのかを、上の削除依頼ページのノートででもお示しいただけないでしょうか。 よろしくご協力お願いします。 --Hatukanezumi 2007年8月13日 (月) 14:19 (UTC)
個人情報について他者のノートの件ですが、個人情報の漏洩につながる要求はお控え下さい。--Yanoken 2007年8月13日 (月) 16:58 (UTC)
誓約書1.申請人は次の許可条件に従う。 (1)謄写した訴訟記録の写しを○○を図るための刑事手続きに付随する措置に間する法律3条1項所定の目的以外に使用しない。 (2)上記目的に使用する場合を除き、謄写した訴訟記録の写しを再謄写しない。 (3)謄写した訴訟記録の写しを他の者に交付し又は閲覧させない。 2.閲覧又は謄写により知り得た事項を用いるに当たり、不当に関係人の名誉若しくは生活の平穏を害し、又は捜査若しくは公判に支障を生じさせることのないようにする。 本来、第3者に閲覧させることもだめなのですが、間違った情報をネット上で記載、主張および公開しているのは、貴殿お一人のようなので、関係者の名誉にためにも上記2に準じて、直接お会いして見せることは可能と判断しました。”正しい情報のため”と”関係者の名誉”のためにも労をとるつもりでしたが、このことにお答えせず、一方的な質問攻めはお控え下さい。いずれにせよ被告はすでに刑に服しており、ネット上で不特定多数に個人情報を公開できない理由をご理解下さい。尚、この件につきましてはこのページでのやりとりにさせていただきます。--Gorgo-13 2007年8月14日 (火) 02:07 (UTC)
質問利用者ページのメモ3(下書き)にある「ロイネットホテル仙台(ろいねっとほてるせんだい)仙台市青葉区花京院1-4-12従業員は親切で、インターネットサービスについて、詳しく教えてくれる。」は何か意味のあるものですか?--R.Sakamoro 2007年8月18日 (土) 05:48 (UTC)
あなたの誹謗中傷記事についてユアペディアにて、あなたの誹謗中傷を繰り返し書いている利用者がいます。H/N:水雷久なる人物です。とりあえずお知らせまで。--Yourpediman 2007年8月19日 (日) 08:04 (UTC)
忠告止むを得ない理由なく利用者‐会話:210.156.140.202などのアカウントを用いて混乱させることをおやめ下さい。--Gorgo-13 2007年8月25日 (土) 15:03 (UTC)
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