内藤貞幹
内藤 貞幹(ないとう さだよし)は、江戸時代中期の大名。陸奥国湯長谷藩6代藩主。官位は従五位下・主殿頭、伊賀守、因幡守。 略歴宝暦10年(1760年)12月、5代藩主・内藤政業が、宝暦11年(1761年)に徳川家治に御目見した同年の11月14日に隠居したため、その跡を継いで養子となり叙任された。 安永7年(1778年)6月23日、死去。享年33。跡を次男の政広が継いだ。法名は徳本院殿有隣鬢山大居士。墓所は神奈川県鎌倉市の光明寺。
系譜子女は4男1女。 父母 正室
子女 脚注
|