内藤政璟
内藤 政璟(ないとう まさあきら)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。陸奥国湯長谷藩9代藩主。官位は従五位下・播磨守。 略歴天明5年(1785年)10月17日、肥前国唐津藩主・水野忠鼎の十男として誕生。寛政11年(1799年)に8代藩主・内藤政偏が若死にしたため、養子として跡を継いだ。同時に叙任している。しかし藩政においては文政3年(1820年)に水害、翌文政4年(1821年)には旱魃と多難を極めた。このような中で文政7年(1824年)8月23日、家督を養子・政民に譲って隠居した。 系譜父母 正室
養子 脚注 |