内藤政晴

 
内藤政晴
時代 江戸時代前期
生誕 寛永3年(1626年
死没 正保2年8月6日1645年9月25日
改名 万福(幼名)、政晴
戒名 光台院殿長誉月秀了山大居士
墓所 東京都江東区白河霊巌寺
東京都港区高輪の光台院
官位 従五位下兵部少輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光
陸奥泉藩
氏族 内藤氏
父母 内藤政長:唐橋氏
兄弟 忠興政次政重政晴蒲生郷喜室、土方雄重正室、西尾嘉教正室、平岡頼資継室、松子、松平定房正室、蒲生忠知正室、菊姫、伊東祐豊室、上田信直室、井上正勝室、加藤重次室ら
正室土屋利直の娘
政親
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内藤 政晴(ないとう まさはる)は、江戸時代前期の大名陸奥国泉藩の初代藩主官位従五位下兵部少輔挙母藩内藤家初代。

略歴

寛永3年(1626年)、陸奥磐城平藩主・内藤政長の4男として誕生。寛永11年(1634年)10月、父の遺言により2万石を分与され、泉藩を立藩した。しかし病弱であまり藩政に目立った功績はなく、正保2年(1645年)8月6日に死去した。享年20。

跡を長男・政親が継いだ。

系譜

父母

正室

子女