内海桂子
内海 桂子(うつみ けいこ、本名:安藤 良子(あんどう よしこ)、1922年〈大正11年〉9月12日[注釈 1] - 2020年〈令和2年〉8月22日[2])は、日本の芸人、漫才師、女優。漫才協会名誉会長、マセキ芸能社所属。 来歴・人物内海好江と約半世紀に渡って音曲漫才コンビ内海桂子・好江(1950年 - 1997年)を組んで人気となった。今村昌平との縁で横浜放送映画専門学院(当時)の専任講師も務めた。 桂子の当時の相方と好江の母親が兄弟弟子という縁で、当時14歳の好江を預けられる形でコンビを組んだ[3]。好江とは14歳差で血縁関係はない。 好江の没後は漫才協団会長として東京演芸界を率いる傍ら、最古参の現役ピン芸人として都々逸や漫談、「名鳥名木 何の木に留めた」、「○○尽くし」などの軽口もこなした。笑組、ナイツ、ロケット団ら協会所属の若手の舞台に客演したり、デーブ・スペクターらと余興で漫才をする場合もあった。2011年8月7日に放送された『笑点』には、あした順子とコンビを組んで出演した。死去報道後初となる2020年8月30日の放送の最後には、追悼映像が流された。また、翌週の9月6日の放送では、追悼企画として桂子と好江による生前の漫才の映像が流された。 桂子・好江の漫才コンビ時代から時流に敏感で、舞台でタイムリーな話題を織り交ぜているのは勿論、公式HPやブログを立ち上げ自らの文章で更新した(共に2012年時点で現存はするものの更新していない)などチャレンジ精神も旺盛だった。2010年8月からはTwitterのアカウントを開き、自らの言葉でツイートを1日数回程度の割合で行っていた[注釈 2][4]。内海は戦時中に満洲などの戦地へ慰問し、それゆえ毎年8月になると必ずTwitterに広島・長崎への原爆投下や終戦への思いを投稿していた[5]。 フリーアナウンサーの大沢悠里からは、桂子が実母と同年代生まれであることから「おっかさん」と頼られ、桂子も夫・成田常也からの求婚の際には「どうだかね」と相談し「いいんじゃないの、おっかさん」とアドバイスされるなど、よき関係を続けていた。『大沢悠里のゆうゆうワイド』の投稿コーナー「お色気大賞」では、話の終わりのおちゃらかしに桂子のお説教が放送されることがあった[注釈 3]。 2020年1月中旬まで漫才協会の公演に出演していたが、同月末から体調を崩し入院した。一時は回復しリハビリにも励んだが、コロナウィルス感染の拡大の影響で見舞いが禁止となり、4月には夫の成田常也も脳出血で入院した。それにより、Twitterも4月14日を最後に更新がなくなっていた。 2020年8月22日23時39分、多臓器不全のため、東京都内の病院で死去した[6][7][8]。97歳だった。遺族の意向で27日に近親者のみで密葬が行われ、死去の一報は、長年付き合いがあったスポーツニッポンが葬儀翌日の28日に裏一面と芸能面を使いスクープした。墓所は東京都台東区の行安寺[9]。戒名は「桂雲院粋譽良光大姉(けいうんいんすいよりょうこうだいし)」。「桂」は芸名の桂子、「良」は本名の良子からそれぞれ取られ、「粋譽」には粋な人生を称える意味が込められている[10]。 2022年4月15日、本人の死去以降は更新されることがなかったTwitterアカウントに突然「菜の花や 月は東に 日は西に」という投稿があった。ファンからは驚きの声が上がったが、その後「@utumikeiko」だったIDが、「@funnylilcats」に変更され、桂子が10年間投稿してきた3992ツイートが全て閲覧できない状態になった。その後は子猫の画像がアップされるようになり、ユーザーからは「乗っ取り被害」を指摘する声が上がっている[11]。 年表
一門
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レコード
出演歴テレビバラエティ・トーク番組
ドラマ
ラジオ
映画
MVCM
脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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