六郷政殷
六郷 政殷(ろくごう まさただ)は、江戸時代後期の大名。出羽国本荘藩の第10代藩主。官位は従五位下・伊賀守、佐渡守、筑前守。 略歴文政11年(1828年)、第9代藩主・六郷政恒の次男として誕生した。母は側室。正室は岡部長和の養女・賀子(貞寿院、岡部長慎の娘)。 文政13年(1830年)2月24日、六郷氏の分家で家臣の六郷主水の養子となった。天保10年(1839年)3月18日、本家を継ぐはずだった長兄が早世したため、本家に戻された。天保12年(1841年)4月18日、政恒の嫡子になった。同年8月15日、12代将軍・徳川家慶に拝謁した。同年12月13日、従五位下・伊賀守に叙任された。後に佐渡守、筑前守に改めている。弘化5年(1848年)2月22日、政恒の隠居により家督を相続した。 嘉永4年(1851年)3月13日に城下町で大火が起こったため、藩民の救済に努めるなどしたが、それらの出費もさらにのしかかり、本荘藩の藩財政は相変わらず苦しかった。 文久元年(1861年)3月14日、死去。享年34。跡を長男の政鑑が継いだ。 系譜父母 正室 子女
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