六巻抄六巻抄(もしくは六巻鈔[1]、ろっかんじょう[2]・ろっかんしょう)とは、享保10年(1725年)、日蓮正宗第26世日寛による著述で、
により構成される[4]。原漢文[5][6]。本著について著者日寛は、学頭日詳(当時。後の第28世。)へ「この書、六巻の獅子王あるときは、国中の諸宗諸門の狐兎一党して当山に集来すといへども、あえて驚怖するに足らず、もっとも秘蔵すべし」 と言った[7][8]。 内容三重秘伝抄さんじゅうひでんしょう[9]。享保10年(1725年)3月上旬再治[注釈 1][6]。三重とは権実相対・本迹相対・種脱相対のことで[6]、この三重が秘伝である故に三重秘伝と称した、と堀日亨は註解している[10]。日蓮が残した文書「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。龍樹天親知て、しかもいまだひろいいださず。但我が天台智者のみこれをいだけり。」(『開目抄』[11][12])を「一念三千法門但法華経本門寿量品文底秘沈給。龍樹天親知未弘、但我天台智者懐之」[5][注釈 2]と引用し、これを標(一念三千法門)・釈(但法華経……秘沈給)・結(龍樹……懐之)と3分割し[14]、自説を10に分けて述べる[15]。これによって、寿量品の文字面には現れない(文字の底に秘して沈められている)「事の一念三千」が末法に弘められる教えであることをこの文書が示している、としている[6]。 文底秘沈抄もんていひちんしょう[9]。享保10年(1725年)3月下旬再治[6]。本門本尊篇・本門戒壇篇・本門題目篇の3篇に分けて[1]、上述の「事の一念三千」が三大秘法の南無妙法蓮華経であると述べている[16]。 →現代の日蓮正宗に於ける三大秘法の位置付けについては三大秘法#日蓮正宗を参照
本尊篇本門の本尊には法の本尊と人の本尊があるも、これらは一体(人法体一)であるとする[17]。法の本尊とは事の一念三千・無作本有・南無妙法蓮華経の本尊であり[18]、人の本尊とは久遠元初の自受用報身の再誕・末法下種の主師親・本因妙の教主・大慈大悲の日蓮であると位置付けている[19]。 戒壇篇本門の戒壇には、事と義があり、義の戒壇は本門の本尊を安置するところ、事の戒壇は一閻浮提の人の懺悔減罪のところと示している[20]。 題目篇本門の題目は妙法五字の修行であり、そこには信(信心)と行(修行)の両方が不可欠であると指摘している[21]。 依義判文抄えぎはんもんしょう[9]。享保10年(1725年)4月中旬再治[22]。文字の底に秘して沈められている義に依って法華経の文を判ずれば法華経の文にも三大秘法が説かれていることが明らかである、としている[23][22]。 末法相応抄まっぽうそうおうしょう[9]。享保10年(1725年)5月上旬再治[22]。本抄のみ上下に分かれている[24][25][22]。末法における「正しい修行」・「正しい本尊」について述べたもので、京都要法寺の日辰が立論した造仏論議[注釈 3]と読誦論議[注釈 4]に反駁を加えている[25]。 上巻読誦論議に反駁を加えている[26][25][22](読誦謗法)[2]。末法に相応しい修行を信心を持った上での唱題[注釈 5]と位置付け[22][注釈 6]、一部読誦を許さない理由として、
の3点をあげている[27]。 下巻造仏論議に反駁を加えている[28][25][22](造像謗法)[2]。本尊は、事の一念三千の大曼荼羅であり[29][25][22]、それ即ち日蓮であるとし[29]、造仏を許さない理由として、
の3点をあげている[30]。 当流行事抄とうりゅうぎょうじしょう[9]。享保10年(1725年)5月下旬再治[22]。方便品篇・寿量品篇・唱題篇の3篇に分かれている[3]。正行[注釈 8]を唱題[注釈 9]、助行[注釈 10]を法華経方便品・寿量品の読誦[注釈 11]としている[32][33][22]。 方便品篇方便品の読誦は、所破[注釈 14]・借文[注釈 16]のためとする[36]。 寿量品篇寿量品の読誦は、所破・所用[注釈 17]のためとする[37]。 唱題篇末法における三宝すなわち、仏宝は日蓮・法宝は本門の本尊・僧宝は日興[注釈 18]であるとする[38]。また、題目を正行とする理由を示し[39]、それを唱える功徳を述べている[40]。 当家三衣抄とうけさんねしょう[9]。享保10年(1725年)6月中旬再治[22]。三衣(法衣・袈裟・数珠)について述べている[33]。 法衣・袈裟素絹五条を用いる理由として、
の2点をあげている[41]。 衣色に薄墨を用いる理由として、
の4点をあげている[42]。 白袈裟を用いる理由として
や[43]、
ほか[44]をあげている。 数珠数珠とは下根[注釈 19]を引接[注釈 20]し修業〔ママ〕を継続できるようにする法具である、とする[45]。また、三宝(【仏宝】日蓮・【法宝】本門の本尊・【僧宝】日興以来歴代法主[注釈 18])を一心に念じて、南無妙法蓮華経と称(とな)えるときに身に随(したが)える法具である、とも述べている[46]。 ※【僧宝】に関しては、総じては第二祖日興及び歴代の法主であり、別しては日興である。今日の創価学会では【僧宝】を日興のみとし、「現代」では「日蓮大聖人の御心と御振る舞いを継承し、世界広宣流布を推進している創価学会」自体を【僧宝】とみなす解釈を取っているが[47]、唯授一人の血脈相承の観点から考えれば、日興単体も歴代の法主も、同義といえる。 評価→本著述が与えた影響については富士門流#江戸時代を参照
日蓮宗(日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 642)には、「『六巻抄』によって、大石寺系教学は組織大成されたと見ることができる。その特色は日有の日蓮本仏論を更に推し進め、本果妙の釈尊は脱益の教主で本地自受用報身如来の垂迹にすぎず、日蓮聖人は本地自受用報身如来の再誕で、本仏そのものであると解釈したのである。」とある。 日蓮正宗(宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 253)には、「当時の日蓮宗各派の邪義をことごとく破折して、大石寺にのみ伝わる正法正義を宣揚し、本宗の教義や信仰の精髄を体系的にまとめたもの」とある。 (日蓮正宗宗務院 1999, pp. 287–288)には、「六巻抄は〔略〕本宗の大綱を括って、他門不共独歩の正義を組成されたのである。〔略〕日寛上人の教学論中のどの部分をとって見ても、富士門家の伝統を脱し、先師・先哲に反する発明教学はありえない。表現上の相違や、先師がいい残された部分を時に従って開陳されたのみである。」とある。 脚注注釈
出典
参考文献
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