全日本愛国者団体会議全日本愛国者団体会議(ぜんにほんあいこくしゃだんたいかいぎ、旧字体:全󠄁日本愛國者󠄁團體會議)は1959年(昭和34年)4月19日に設立された国内最大の右翼団体の聯合体である。行動右翼団体のほとんどが加盟しており、参加団体の運動方針に大きな影響を与えている[1]。国体護持、反共協同戦線を二大綱領とした。略称は全愛会議。事務所は東京都台東区上野におかれた。初代議長は佐郷屋嘉昭。 概要発会時には生産党、国粋会、殉国青年隊など80団体が参加した。1964年の第6回大会までには440団体に増加した。1960年には28団体が参加した児玉誉士夫系の青年思想研究会も結成された。この会に属していた「楠皇道隊」がのちに、日本最大級の団体の一つ、日本青年社となる。 議長団には佐郷屋嘉昭・小崎金蔵(日本同盟)、高橋正義(日乃丸青年隊)、西山幸輝(昭和維新連盟)、荻島峯五郎(暴力団日本国粋会前川一家総長。愛国青年連盟)が選ばれた。最高顧問には三浦義一、児玉、井上日召、橘孝三郎、顧問には天野辰夫、笹川良一、吉田益三、寺田稲次郎、大沢武三郎らが就任した。 任侠団体は参加せず、また児玉の任侠団体聯立構想も実現せず、その一部が関東会に結集した。他に政財界と結んだ新日本協議会、日本を守る国民会議(後の日本会議)などもある。 初代議長佐郷屋の跡は、武井組組長の武井敬三が議長となり、長く2代目を続けた。武井は新宿のテキ屋で、横井英樹の東洋精糖乗っ取り事件などに関わり、佐藤栄作の用心棒集団「TKプロダクション友の会」を率いた[2]。武井日進の名で法華経寺の管長も務める傍ら、武井睦会、銀武会、信武会、愛国誠友会、大日本石雲会など多くの団体の幹部を務めた[1]。 昭和45年(1970年)5月の全国大会で地方にブロック協議体を置くことが決まり、関東協議会、三曜会(関西)、中部愛国者連盟。九州二十五日会、東北地区会議、四国協議会ができた[1]。 幹部
加盟団体北海道
東北地方
関東地方東京都
神奈川県
千葉県
群馬・茨城・埼玉
中部地方愛知県
静岡・岐阜・三重・石川・長野・山梨
近畿地方大阪府
滋賀・兵庫・和歌山・京都・奈良
中国地方
四国地方香川県
愛媛・高知
九州地方福岡県
大分・佐賀・長崎・宮崎・鹿児島・沖縄
その他
註釈関連項目
外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia