元明均
元 明均(ウォン・ミョンギュン、朝鮮語: 원명균、1934年 - )は、朝鮮民主主義人民共和国の軍人、政治家。朝鮮人民軍戦車教導指導局長、朝鮮人民軍総政治局副局長、朝鮮労働党中央委員会委員候補などを歴任した。朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は上将。朝鮮労働党中央委員会第一書記を務める趙甬元は義理の息子[1]。 経歴1934年に日本統治下の咸鏡北道で生まれた[2]。ソ連に留学し[2]、1980年10月10日に開かれた朝鮮労働党第6回大会で朝鮮労働党中央委員会委員候補に選出された[2]。この時の軍職は不明である。1989年3月に朝鮮人民軍少将に昇進し[2]、同年12月に朝鮮人民軍総政治局副局長に任命された[2]。同月に総政治局代表団長として中華人民共和国を訪問した[2]。1991年に中将[2]、1992年に上将に昇進した[2]。 1994年7月8日に金日成主席が死去し国家葬儀委員会が組織されると、同委員会委員に選ばれた[2]。1995年2月25日に死去した呉振宇次帥の葬儀委員も務めた[2]。1998年10月に朝鮮人民軍戦車教導指導局長に転じたが[2]、以後の消息は不明。 脚注 |