倉茂周蔵
倉茂 周蔵(くらしげ しゅうぞう、1888年(明治21年)7月8日[1] - 1977年(昭和52年)7月11日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 経歴1888年(明治21年)に新潟県で生まれた[1]。陸軍士官学校第22期、陸軍大学校第30期卒業[2]。ロシア駐在を経て[3]、1934年(昭和9年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に歩兵第31連隊長に就任し[3]、1936年(昭和11年)8月に陸軍歩兵学校教導連隊長に転じた[3]。1937年(昭和12年)8月に第109師団参謀長(北支那方面軍)に転じ[3]、日中戦争に出動した[1]。 1938年(昭和13年)3月1日に陸軍少将に進級し[3]、3月25日に第4国境守備隊長に就任した[1]。1939年(昭和14年)3月9日に関東軍司令部附となり[1]、5月19日に第5軍参謀長に就任[1]。1940年(昭和15年)9月6日に朝鮮軍司令部附となり[1]、12月3日に予備役に編入されたが[1]、1941年(昭和16年)8月1日に召集され朝鮮軍兵務部長に就任し[1]、1943年(昭和18年)8月2日に召集解除となった[1]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。 脚注参考文献
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