佐賀県立伊万里農林高等学校(さがけんりつ いまりのうりんこうとうがっこう)は、かつて佐賀県伊万里市二里町大里乙にあった県立農業高等学校。通称は「伊農」(いのう)または「農林」。
概要
- 歴史
- 1917年(大正6年)に「西松浦郡立西松浦農学校」(実業学校)として創立。数回の改編・改称を経て、現校名になったのは1952年(昭和27年)。2017年(平成29年)に創立100周年を迎えた。佐賀県の県立高校再編により、2019年(平成31年)4月に佐賀県立伊万里商業高等学校と統合され、佐賀県立伊万里実業高等学校が設置された。2018年(平成30年)4月に入学した生徒が卒業する2021年(令和3年)3月末をもって閉校となり、104年の歴史に幕を閉じた[1]。なお、閉校後も、校舎と校地は「佐賀県立伊万里実業高等学校 農林キャンパス」として使用が継続される。
- 設置学科
- 全日制課程 3学科(2019年(平成31年)4月に募集を停止)
- 綱領(校訓・校領)
- 初代校長の江口圓次郎によって制定された五か条。
- 第一条 至誠一貫、いやしくも表裏の行為あるべからず。
- 第二条 勇気を養い、忍耐を重んじ、もって勤労の習慣を養成すべし。
- 第三条 自治自動の精神を発揮し、敢為進取の気象を養成すべし。
- 第四条 倹素身を持し、協同事に従い、常に規律を遵守すべし。
- 第五条 衛生を重んじ、運動を励み、もって心身を鍛錬すべし。
- 校章
- 校名の「伊」(上)・「髙」(中央)・「農」(下)の文字を稲穂で取り囲むデザインとなっている。
- 校歌
- 作詞は宮川文平、作曲は藤沢紫朗による。歌詞中に「伊万里」が登場する。
- 制服
- 進路
- 進学 28.9%、就職 66.4%、その他 1.3%
- 入試
- 偏差値は高くないが、志願倍率は高い。
沿革
- 1917年(大正6年)4月16日 - 「西松浦郡立西松浦農学校」が創立。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 県に移管され、「佐賀県立西松浦農学校」となる。
- 1929年(昭和4年)3月22日 - 養蚕専修科設置認可、4月30日開科。
- 1937年(昭和12年)4月1日 - 「佐賀県立伊万里農学校」と改称。
- 1939年(昭和14年)4月1日 - 「佐賀県立伊万里農林学校」と改称。林業科設置。
- 1944年(昭和19年)3月31日 - 畜産科を設置。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、「佐賀県立伊万里農業高等学校」となる。
- 全日制課程は農業科・林業科・畜産科、定時制課程は農業科を設置。同時に女子農業別科(1年制)を新設。
- 1951年(昭和26年)3月31日 - 女子農業別科廃止。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 「佐賀県立伊万里農林高等学校」(現校名)に改称。農村家庭科を設置。
- 1967年(昭和42年)4月1日 - 農村家庭科を生活科に改称。
- 1982年(昭和57年)4月1日 - 定時制課程農業科の生徒募集を停止。
- 1985年(昭和60年)3月2日 - 定時制課程農業科閉校記念式典を挙行。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 食品化学科を設置、生活科を生活文化科と改称。
- 1992年(平成4年)4月1日 - 学科改編により、農業科と畜産科を統合し生物生産科とする。林業科を森林工学科に改称。
- 2004年(平成16年)4月1日 - 生活文化科の募集を停止。
- 2009年(平成21年) - 第91回全国高等学校野球選手権大会の佐賀県大会決勝で、佐賀商業に勝って春夏通じて初めての甲子園出場を決めた。
- 選手権出場は伊万里市内の高校としては初めて。吉永圭太主将が県勢初の選手宣誓を務めた。選抜は伊万里商業が先に出場済み。
- 2019年(平成31年)4月1日 - 佐賀県立伊万里商業高等学校との統合により、「佐賀県立伊万里実業高等学校」が設置される。
- 2018年(平成30年)度入学生が卒業するまで、伊万里農林高等学校は存続されることとなる。
- 生物生産科・商品化学科・森林工学科(伊万里農林高校として)の募集を停止。
- 2021年(令和3年)
- 3月1日 - 最後の卒業式および閉校式を挙行[1]。
- 3月31日 - 閉校。104年の歴史に幕をとじる。閉校後も「佐賀県立伊万里実業高等学校 農林キャンパス」として使用が継続される。
部活動
- 運動部
- 文化部
- 農業クラブ
- 生物生産科 - 野菜部、果樹部、草花部、作物部、畜産部
- 食品化学科 - 応用微生物部、農産製造部、畜産製造部、食品化学部
- 森林工学科 - 林業部、木材加工部、土木部、測量部
著名な卒業生
交通
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停留所
- 最寄りの幹線道路
周辺
参考資料
関連項目
外部リンク