佐賀家喜昇・旭芳子
佐賀家 喜昇・旭 芳子(さがのや きしょう・あさひ よしこ)は昭和期に活躍した夫婦の漫才コンビ。戦前、戦中は天満など、当時の場末の端席に出ていたが、やがて注目され、戦後はトップホットシアター、新世界新花月をホームグラウンドとし人気を博した。 メンバー
コンビ略歴・芸風芳子が三味線を持って椅子に腰掛け、喜昇が立ってしゃべる、というスタイルの漫才だった。芳子の演奏に合わせて喜昇が新磯節や八木節といった民謡を唄ったほか、以下のような喜昇のものまね芸が知られた。
このほか、客席から「おい!! キー公!! おもんないねん。帰れ!!」等の野次が飛んでくると欠かさず喜昇は「誰がキー公やアホんだら!!」と絶妙な間で言い返し、笑いを生む客いじりをよくしていた。 これらの芸は「おとろしや漫才」の異名をとった一方、下品とされ、角座のような大きい劇場やラジオ・テレビで披露される事はなかった。また、放送に乗せられなかったのは、喜昇は自分の芸に時間の規制を設けられるのを嫌っていたからともされる。 1935年(昭和10年)頃、NHKの脚本家だった長沖一は、売れっ子漫才師となっていた横山エンタツに、「ほんまもんの漫才、見せたげまっさ(略)わたしら、この漫才には勝てまへん」と誘われ、「乞食漫才」の喜昇・芳子の出ている小屋へ通った。また、芸人や芸能関係者、東京から来た大衆芸能好きな見巧者、京都大学の教授といった人々が喜昇・芳子に親しんだという[3]。 晩年、喜昇は、桂米朝司会のテレビ番組『和朗亭』(朝日放送)に招かれ、出演したことがある。なお、1971年放送のNHKの「新日本紀行 浪華芸人横丁」において、初めてテレビ出演した時の取材の模様が残されている。 脚注参考文献
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