佐敷駅
佐敷駅(さしきえき)は、熊本県葦北郡芦北町大字花岡字西にある肥薩おれんじ鉄道線の駅である。駅番号はOR09。 芦北町の中心駅で、国鉄・JR九州鹿児島本線時代は一部特急も停車した。 歴史年表
駅名の由来「佐敷(さしき)」は「さし(城)」と「き(城)」が合わさって生まれた地名で、元は両方とも城を意味する言葉である。その字の通り、古代この佐敷の地には隼人防御の城があったと言われ、古くから西海道の駅家も置かれた交通の要所であったという。また、かつてこの地を訪れた弘法大師(空海)が1本の木を地面に挿したところ、その木が根を張ったことから「指木」という地名になり、その後に「佐敷」に転じたという説もある。 駅構造島式ホーム1面2線と単式ホーム1面1線を有する地上駅。NPO法人ななうらステーションが管理する簡易委託駅である。1番線の上り側と2番線(旧3番線)の隣には貨物側線や貨物ホーム跡地が残る。トイレは改札内・外にあり、改札内は男女共用、改札外は男女別。いずれも水洗式。 駅舎は1925年の開設当時に建てられた木造駅舎で、肥薩おれんじ鉄道では1923年に建てられた日奈久温泉駅駅舎に次いで2番目に古い駅舎である。 基本的に1番線を使用し、列車交換がある場合は下り列車が2番線に入る。2番線は上り列車用場内信号機や出発信号機を設けていないため、上り列車が入ることはない。 かつての国鉄・JR時代は駅舎側1番線が上り(八代・熊本・博多方面)列車、3番線が下り(出水・川内・西鹿児島方面)列車専用ホームで、中線の旧2番線のみ上下列車のどちらからも発着出来る構造であった。そのため、普通列車が旧2番線を使って特急通過待ちや熊本・八代 - 当駅間の列車の折り返しとして使われたりしていた。2004年に肥薩おれんじ鉄道に移管された際に1番線が上下列車に対応出来るよう信号設備が整備されると同時に旧3番線が現在の2番線に変更され、代わりに旧2番線が使用中止となり現在は出発信号機が横になってしまっている。また、国鉄時代は現2番線の奥に数本の貨物側線と貨物積み下ろし用のホームがあり、貨車入換を行っていた。現在もホームの一部が残り、側線の一部も電力区社員研修用の訓練線路として残っている。 国鉄・JR九州時代は待合室内に鉄道小荷物窓口、出札窓口とキヨスクが設置され駅近くの「みずあらい芦北支店」が調製した駅弁販売も行われていたが、小荷物窓口は国鉄時代1984年に閉鎖、駅弁も1990年代後半に業者廃業により発売が終了し、キヨスク自体も経営移管の際閉店となり店舗も撤去された。小荷物窓口跡には大型の掲示板が、キヨスク店舗跡地には自販機コーナーが設けられている。現在も当時の店舗の基礎部分が僅かに残っている。特急停車駅であったが、みどりの窓口やマルスは設置されず、駅係員は特急券、乗車券共常備券、補充券を手売りで発売していた。肥薩おれんじ鉄道に移管された際に自動券売機が設置されたが、出札窓口は閉鎖されること無くそのまま使用されている。
のりば
利用状況
駅周辺周辺は商店や住宅が密集している。また、駅前の道路右手には産交バスの佐敷駅前バス停がある。
バス路線
かつては駅前から佐敷港へのフェリー接続便や海沿いの大崎、女島、福浦、平国を経由して水俣に向かう路線、鶴ヶ浜海水浴場や鶴木山方面への路線、山側の白石駅、葛俣、古石、長崎、百木、田川方面へ多数の路線が発着していたが、町内の急激な過疎化と乗降客数の激減のため水俣産交-道の駅たのうら間以外の路線は2015年10月1日のダイヤ改正までに全て廃止され、芦北町営のコミュニティバスや乗合タクシー、スクールバスに転換された。 登場作品隣の駅※臨時快速「おれんじ食堂」の隣の停車駅は列車記事を参照のこと。 脚注
関連項目外部リンク
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