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伊勢崎村
いせざきそん
伊勢崎村
廃止日
1940年12月12日
廃止理由
新設合併
逢束村
、
市勢村
、
伊勢崎村
→
浦安村
現在の自治体
東伯郡
琴浦町
廃止時点のデータ
国
日本
地方
中国地方
(
山陰地方
)
都道府県
鳥取県
郡
東伯郡
市町村コード
なし(導入前に廃止)
総人口
859
人
(
国勢調査
、1940年)
隣接自治体
由良町
、
下郷村
、市勢村、逢束村
伊勢崎村役場
所在地
鳥取県東伯郡伊勢崎村
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
伊勢崎村
(いせざきそん
[
1
]
[
2
]
)は、
鳥取県
東伯郡
にあった
村
。現在の東伯郡
琴浦町
の一部にあたる。
地理
加勢蛇川下流右岸の火山扇状台地の末端に位置していた
[
2
]
。
歴史
1889年
(明治22年)10月1日、
町村制
の施行により、
八橋郡
中尾村、槻下村、金屋村が合併して村制施行し、
伊勢崎村
が発足
[
1
]
[
2
]
。旧村名を継承した中尾、槻下、金屋の3大字を編成
[
2
]
。
1896年
(明治29年)4月1日、郡の統合により
東伯郡
に所属
[
2
]
。
1940年
(昭和15年)12月12日、東伯郡逢束村、市勢村と合併し
浦安村
を新設して廃止された
[
1
]
[
2
]
。合併後、浦安村大字中尾・槻下・金屋となる
[
2
]
。
産業
農業
教育
1873年
(明治6年)槻下小学校開校
[
3
]
。1887年(明治20年)槻下簡易小学校に改称
[
3
]
。1893年(明治26年)伊勢崎尋常小学校に改称
[
2
]
。1936年(昭和11年)統合により廃校となり、逢束ほか2か村組合立尋常高等小学校教室となる
[
2
]
。
脚注
^
a
b
c
『市町村名変遷辞典』57頁。
^
a
b
c
d
e
f
g
h
i
『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』95-96頁。
^
a
b
「〔近世〕槻下村」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』498頁。
参考文献
角川日本地名大辞典
31 鳥取県
『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
関連項目
鳥取県の廃止市町村一覧