今野 隆裕基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
東京都大田区大森[1] |
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生年月日 |
(1964-07-11) 1964年7月11日(60歳) |
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身長 体重 |
181 cm 76 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
左投左打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
1988年 ドラフト2位 |
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初出場 |
1989年4月11日 |
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最終出場 |
1993年9月29日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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今野 隆裕(こんの たかひろ、1964年7月11日 - )は、東京都大田区出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
大田区立大森第八中学校から1980年に日体荏原高に進学する。高校時代は好守巧打の外野手兼投手として、クリーンアップトリオの一角を担った。高校の1学年後輩に丹波健二がいた(プロ入り後もロッテで再びチームメイトとなった)。
高校卒業後は、社会人野球の強豪である西濃運輸に入社し、本格的に投手へ転向する[1]。1988年の都市対抗野球にはNTT東海の補強選手として出場し、同じく補強の古田敦也とバッテリーを組んで準々決勝に先発するなどチームの準優勝に貢献した[2]。
1988年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから2位指名を受け入団[1]。貴重な左腕投手として、ルーキーイヤーの1989年より一軍に定着し先発・リリーフにと44試合に登板する。
1991年8月5日には、イースタン・リーグでの対日本ハム戦でノーヒットノーランを達成した[1]。この後一軍でも2完封を含む5勝をあげた。
1992年シーズンオフ、宇野勝・長嶋清幸との2対2の交換トレードで、横田真之と共に中日ドラゴンズに移籍する[1]。しかし、中日では二軍暮らしが長くなり、1994年には一軍登板がないまま同年限りで現役を引退した[1]。
選手としての特徴
変則なスリー・クォーターのかなり低めの位置から投げ、140km/h台前半のストレート、変化球はスライダー、シュートを駆使した。
詳細情報
年度別投手成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
1989
|
ロッテ
|
44 |
3 |
0 |
0 |
0 |
2 |
6 |
0 |
-- |
.250 |
259 |
54.1 |
59 |
8 |
38 |
2 |
2 |
43 |
3 |
0 |
42 |
36 |
5.96 |
1.79
|
1990
|
28 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
-- |
.000 |
125 |
26.0 |
40 |
6 |
12 |
0 |
2 |
16 |
0 |
0 |
23 |
20 |
6.92 |
2.00
|
1991
|
22 |
6 |
3 |
2 |
0 |
5 |
2 |
0 |
-- |
.714 |
219 |
56.1 |
36 |
3 |
19 |
0 |
4 |
36 |
2 |
0 |
14 |
12 |
1.92 |
0.98
|
1992
|
26 |
17 |
4 |
0 |
0 |
6 |
9 |
0 |
-- |
.400 |
482 |
110.0 |
107 |
15 |
51 |
0 |
3 |
62 |
1 |
0 |
65 |
55 |
4.50 |
1.44
|
1993
|
中日
|
16 |
1 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
-- |
1.000 |
72 |
14.2 |
15 |
4 |
13 |
2 |
1 |
17 |
1 |
0 |
13 |
11 |
6.75 |
1.91
|
通算:5年
|
136 |
28 |
7 |
2 |
0 |
15 |
18 |
0 |
-- |
.455 |
1157 |
261.1 |
257 |
36 |
133 |
4 |
12 |
174 |
7 |
0 |
157 |
134 |
4.61 |
1.49
|
記録
背番号
- 17 (1989年 - 1992年)
- 16 (1993年 - 1994年)
脚注
関連項目
外部リンク