今田信宏
今田 信宏(いまだ のぶひろ、1964年9月24日 - )は、日本の実業家、レーシングドライバー。 略歴実業家としては不動産賃貸業を営む。 趣味としてレース活動を始め、2016年、2017年にポルシェGT3カップチャレンジに参戦。2018年には一般社団法人 日本モータースポーツ協会を設立し、ドライバーの育成、サポート、情報発信などを行い、モータースポーツの普及活動に取り組んでいる。同協会の代表を務める一方で、引き続き、自らもレース活動も行い、2018年にはポルシェGT3カップチャレンジでシリーズチャンピオンを獲得。さらに鈴鹿クラブマンレースに参戦を開始し、フォーミュラenjoy FE1クラス シリーズ3位に入賞した。またこの年、初めてフェラーリ・チャレンジ・アジア・パシフィック(APAC)シリーズ富士大会にスポット参戦し、ピレリクラス4位となった。 2019年にはスポット参戦を含め、4選手権に出場。ポルシェカレラカップジャパン・第5戦でジェントルマンクラス優勝(シリーズ第5位、ルーキー賞を獲得)、ポルシェスプリントチャレンジジャパン・第1戦GT3-Ⅰクラス優勝(スポット参戦)、フォーミュラenjoy FE1クラスではシリーズチャンピオンを獲得。 2020年はフェラーリ・チャレンジ・アジア・パシフィック(APAC)シリーズ[1]にフル参戦の予定も、世界的な新型コロナウィルス感染症の流行の影響で初戦のバーレーン戦のみ開催となり、第1戦3位、第2戦2位に入賞。この年、神奈川県厚木市を拠点とし、SUPER GT、スーパーフォーミュラなど日本のトップレースを支えるレーシングガレージ「4minutes[2]」とタッグを組み、従来のフォーミュラ3に代わるカテゴリーとして新しく始まったフォーミュラ・リージョナル・ジャパニーズ・チャンピオンシップにシリーズフル参戦し、マスタークラスのシリーズチャンピオンを獲得。また、B-MAX ENGINEERINGの代表、組田龍司(DRAGON)に影響を受け、 「JMS RACING with B-MAX」として全日本F3選手権から名を変えた全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権(SFライツ)にスポット参戦にて挑戦。菅生大会で予選落ちをするという厳しい結果にF3の洗礼を受けた形となった(第6,7,8,9,10,11,12,13,14戦に出場)。一方で最終ラウンドの富士戦では公式予選にて、元F1ドライバーの山本左近、全日本選手権フォーミュラニッポンシリーズチャンピオン4回、全日本GT選手権・GT500クラスシリーズチャンピオン3回を誇る本山哲を上回るリザルトを残した[3]。同年12月には、スーパーフォーミュラの合同テストで56歳の史上最高齢でダラーラ・SF19のハンドルを握った[4]。 2021年は全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権に17戦フル参戦し、マスタークラスシリーズチャンピオンを獲得(優勝12戦、ポールポジション17回、Fastest14回)。オートポリス戦では、オーバーオール6位入賞を果たした。フォーミュラ・リージョナル・ジャパニーズ・チャンピオンシップ 10戦出場(3戦欠場)、マスターズクラスシリーズ第2位を獲得(優勝4戦、ポールポジション4回、Fastest4回)。また、FIA-F4選手権に7戦スポット出場し、関口雄飛/組田龍司(DRAGON)ともにスーパー耐久ST-ZクラスにメルセデスAMG GT4で3戦出場した[5]。同年12月には、昨年同様、スーパーフォーミュラ鈴鹿ルーキードライバーテストに参加し、「人生最良の日」と語った[6][7][8]。 2022年は全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権に18戦フル参戦し、2年連続、マスタークラスシリーズチャンピオンを獲得(優勝10戦)。菅生戦では、2度目のオーバーオール6位入賞を果たした。また、コロナ禍で出場できていなかったフェラーリ・チャレンジ・アジア・パシフィック(APAC)シリーズに3年ぶりにフル参戦(11戦、1戦欠場)を果たした(シリーズ2位、優勝4回)。その他、フォーミュラ・リージョナル・ジャパニーズ・チャンピオンシップに5戦、FIA-F4選手権に4戦スポット出場した。 レース戦績
全日本スーパーフォーミュラライツ選手権
脚注
外部リンク |
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