仁比山神社
仁比山神社(にいやまじんじゃ)は、佐賀県神埼市神埼町的にある神社。旧社格は県社。 歴史社伝によれば、天平元年(729年)この地に松尾大社を勧請したことを創始とする。その後承和11年(844年)に慈覚大師が唐から戻る際この地に立ち寄り、土中より日吉宮の額を発見したことを朝廷に奏上したところ、比叡の神威を感じた仁明天皇の命により近江坂本の日吉宮の御分神を合祀し朝廷の祈願所とした。そのときにこの地を仁明天皇の「仁」と比叡山の「比山」を併せて「仁比山」としたとされている[1][2]。 従前は日吉神社、日吉社、また神宮寺として仁比山護国寺を併設し、山王権現、山王社と称していた[1][3]。参道一の鳥居は「山王権現」、二の鳥居は「日吉宮」の扁額[1][2]。 国司や探題により社領や神田の寄進が行われたとされるが、文書の多くは兵火で失われている。残存する「仁比山神社文書」の古いものでは、正平16年興澄という者が神埼荘の屋地を寄進した記録がある。康正元年に大内教弘、文明17年に少弐政資がそれぞれ社領等を安堵している。永禄2年(1559年)大友宗麟の来攻の際に社殿は焼失したが、佐賀藩藩祖鍋島直茂・初代藩主勝茂親子の援助により再建された。江戸時代には、藩が営繕費用を負担し藩主が祭礼に代参を遣わすなど佐賀藩の庇護を得ており、大門(仁王門)前の鳥居は延宝2年(1674年)鍋島光茂が寄進している[1][2]。 明治4年(1871年)に神仏分離令により仁比山護国寺と分離し日吉神社となった。この年村社に列せられたが、のち大正5年には県社に列せられている。1910年(明治43年)に仁比山村内の13社を、翌1911年(同44年)9月には村内の白角折社をそれぞれ合祀(神社合祀令)、同年10月に仁比山神社と改称した。なお、白角折社は後に旧地に復座している[1][2][4]。 境内社として現在は松尾宮、松森稲荷神社を置く。 文化財無形民俗文化財
有形文化財
天然記念物周辺仁王門を経由して参道を上っていくと、右手の宅地の中の高台に伊東玄朴旧宅がある。宅地を過ぎると突き当たりの参道石段と右手の車道に分かれ、その間に神社駐車場がある。右手に進むと仁比山地蔵院でその奥が神社境内。石段を進むと左手に九年庵があり、突き当たって社務所下の石垣に沿い右に進むと広場に出て、その北の石段の先に仁比山神社社殿が鎮座する。
脚注
参考文献
外部リンク
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