京都市立教業小学校

京都市立教業小学校
Kyogyo elementary school
地図北緯35度0分35.90秒 東経135度44分53.43秒 / 北緯35.0099722度 東経135.7481750度 / 35.0099722; 135.7481750座標: 北緯35度0分35.90秒 東経135度44分53.43秒 / 北緯35.0099722度 東経135.7481750度 / 35.0099722; 135.7481750
過去の名称 上京第二十三番組小学校
教業尋常小学校
教業尋常高等小学校
教業国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 明治2年(1869年)10月26日
創立者 上京第二十三番組
閉校年月日 平成4年(1992年)3月31日
共学・別学 男女共学
所在地 604-8316
京都市中京区大宮通御池下る三坊大宮町121-2
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京都市立教業小学校(きょうとしりつ きょうぎょうしょうがっこう)は京都市中京区にあった公立小学校

概要

明治2年(1869年)に京都で設立された64の番組小学校の一つとして開校し、平成4年(1992年)に京都市立洛中小学校に統合され、閉校した。 校名は、平安京の坊名である教業坊にちなむ[1][2]

沿革

通学区域

教業小学校の通学区域は、元学区教業学区に一致していた[6]

関係者

教業学区

教業学区(きょうぎょうがっく)は、京都市学区(元学区)のひとつ。京都市中京区に位置する。明治初期に成立した地域区分である「番組」に起源を持ち、学区名の由来ともなる元教業小学校の通学区域と合致し、今でも地域自治の単位となる地域区分である。

教業学区の沿革

明治2年(1869年)の第二次町組改正により成立した上京第23番組に由来し、同年には、区域内に上京第23番組小学校が創立した。

上京第23番組は、明治5年(1872年)には上京第26区、明治12年(1879年)にはとなり上京第26組となった。設置された上京第23番組小学校は、明治8年に校名を教業に改称した[5]

上京第26組は、学区制度により明治25年(1892年)には上京第21学区となった[7]

昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京区・下京区から、左京区・中京区・東山区が分区されると、上京第21学区から教業学区となり、中京区に属した[6]。昭和17年(1942年)に京都市における学区制度は廃止されるが[8]、現在も地域の名称、地域自治の単位として用いられている。

教業学区の通学区域

教業学区の小学校の通学区域は、現在学区全域が京都市立洛中小学校となっている。

人口・世帯数

京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[9]、教業学区の区域に設定されている国勢統計区(中京区第1国勢統計区[注釈 1])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は2,166人、1,292世帯である。

地理

中京区の中央部に位置する学区であり、東側は城巽学区梅屋学区、南側は乾学区、西側は朱雀第二学区朱雀第六学区、北側は二条城の北側で上京区待賢学区に接する。区域は、概ね東は堀川通、西は神泉苑通、北は押小路通(学区に二条城を含める場合竹屋町通[10])、南は三条通であり[11]、面積は0.415平方キロメートルである[注釈 2]

教業学区内の通り

教業学区の町名

  • 上巴町
  • 上八文字町
  • 最上町
  • 三坊猪熊町北組
  • 三坊猪熊町南組
  • 姉猪熊町
  • 織物屋町
  • 大文字町
  • 上一文字町
  • 市之町
  • 三坊大宮町
  • 姉大宮町東側
  • 姉大宮町西側
  • 神泉苑町
  • 瓦師町
  • 池元町
  • 俵屋町
  • 門前町
  • 樽屋町
  • 倉本町
  • 姉西町
  • 二条城町
  • 西三坊堀川町
  • 姉西堀川町

周辺

脚注

注釈

  1. ^ 令和2年国勢調査時点
  2. ^ 京都市地域統計要覧ウェブサービス国勢統計区別集計において、総務省統計局「地図で見る統計(jSTAT MAP)」に登録されている境界データから算出された数値として示される面積。二条城を含む面積である。

出典

  1. ^ a b c d e 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 69, 「京都市立教業小学校
  2. ^ 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 35, 「教業小学校」.
  3. ^ a b c 素晴らしきわがまち「教業学区」 - ウェイバックマシン(2024年2月17日アーカイブ分)
  4. ^ a b c d 『京都市学区大観』 (1937), p. 63, 「中京区教業学区
  5. ^ a b c 京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2024年1月27日閲覧。
  6. ^ a b c 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』 (1985), pp. 254–255, 「教業学区
  7. ^ 明治25年6月3日府令第42号(京都市尋常小學校々數位置幷ニ小學區ノ件)明治25年6月3日府令第42号」『京都府府令達要約 明治25年 第13編上巻』1892年、276-288頁。doi:10.11501/788418https://dl.ndl.go.jp/pid/788418/1/171 
  8. ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9537074/1/112 
  9. ^ 用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。
  10. ^ 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 10, 「教業学区」.
  11. ^ a b 語りつがれるわがまち「教業学区」 - ウェイバックマシン(2024年2月25日アーカイブ分)

参考文献

  • 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』平凡社、1985年。doi:10.11501/9575674ISBN 9784582477092 
  • 『京都市学区大観』京都市学区調査会、1937年。doi:10.11501/1440637 
  • 『京都市立学校園沿革史』京都報道センター、1981年。doi:10.11501/12111830 
  • 中京区民ふれあい事業実行委員会90周年事業検討部会『中京区制90周年記念事業 中京暮らしの文化・歴史絵巻』2020年https://www.city.kyoto.lg.jp/digitalbook/page/0000000960.html2024年3月2日閲覧 
  • 京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2024年1月27日閲覧。

関連文献

関連項目

外部リンク