京終駅
京終駅(きょうばてえき)は、奈良県奈良市南京終町(みなみきょうばてちょう)[4]にある[5][6]、西日本旅客鉄道(JR西日本)桜井線(万葉まほろば線)の駅である[3]。難読駅名としても知られている[5][7][8][9]。 駅名は奈良時代の都である平城京(外京)の南端に位置することが由来とされている[4]。 歴史京終駅が存在する区間の桜井線は、初瀬鉄道が免許を受けて建設した。1894年(明治27年)7月に奈良 - 桜井間が本免許され、1897年(明治30年)8月に着工した[10]。しかし、同一地方に小鉄道が独立して存在するのは公共の利益に合致しないとして、京都 - 奈良間を建設した奈良鉄道と合併するべきとの議論が起こり、1897年(明治30年)4月25日に初瀬鉄道と奈良鉄道の合併契約が結ばれ、8月6日に認可を得て、10月1日に建設工事が奈良鉄道に継承された。1898年(明治31年)5月11日に京終 - 桜井間が開通した[11]。京終駅はこの際に開設され、建設に当たっては奈良町在住の乾徳三郎から7反歩の土地の提供を受けた[10]。 その後、奈良駅と連絡する工事が進められた。1899年(明治32年)1月20日に奈良駅における連絡に関して大阪鉄道・関西鉄道と契約が成立し、2月11日(奈良市史では3月11日とする)から貨物の連絡輸送が奈良 - 京終間で開始された。10月14日に旅客輸送も開始して、正式に開通した[10][11]。 1919年(大正8年)には荷物専用のリフトである奈良安全索道が、京終駅から奈良市小倉町までを結び[注釈 2]、名産の天然凍豆腐(高野豆腐)や野菜・木炭・木材などを運搬していた[注釈 3]。1951年(昭和26年)に奈良安全索道は廃止された[5][12]。 近年では奈良市が奈良町の南の玄関口として新たな観光拠点として、当駅を改修するなど周辺整備を実施した[3][4][5][6][13]。 復元工事1898年(明治31年)開業以来の木造平屋建の駅舎が残されてきたが[13]、2017年(平成29年)にJR西日本から奈良市に無償譲渡され[14]、奈良市によって駅舎の復元工事が進められた[4][5][13]。2018年(平成30年)3月9日に第1期工事が完成し、待合室が供用開始された[12]。2019年(平成31年)1月、復元工事が完了し観光案内所も併設された[15]。駅舎および周辺の整備工事は同年2月に完了している[4]。 年表
駅構造相対式ホーム2面2線を持ち[1]、交換設備を有する地上駅。駅本屋側が下り(天理・桜井方面)ホームであり、地下道を通って反対側が上り(奈良方面)ホームである。数本の保守作業用の側線がある。駅舎隣に位置する下りホームの側線部では、時期によってJR西日本大阪事業所による花の苗の販売が行われている。 王寺鉄道部管理の無人駅であるが、ICOCA利用可能駅(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)である。近距離用の自動券売機のほか、ICOCAなどのICカード読取機(入場用・出場用)が設置されているが、普通乗車券用の自動改札機は設置されていない。 京終駅が開業した1898年(明治31年)建設の木造平屋建て駅舎が残されており、2018年(平成30年)には復元工事が完成した[5][6]。駅舎面積は145.28平方メートルである[12]。 のりば
利用状況「統計なら」によると、近年の1日平均乗車人員は以下の通りである[23]。
駅周辺奈良市中心部の南の端に位置し、現在も「京終」の名の通り市街地の周縁部となっている。旧天理街道に面する。付近は住宅地だが、かつては物流の拠点だったこともあり、いくつかの企業の本社や工場がある。また、奈良運輸支局が2004年10月8日までこの地に存在したため、近辺には自動車ディーラー各社の店舗が現在も集積している。
隣の駅脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク
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