五行大義『五行大義』(ごぎょうたいぎ)は、隋の蕭吉(しょう きつ)によって撰述された、五行に関する古今の説の集大成。全5巻より構成される。 中国では早く滅び、日本にのみ残った佚存書である。 概要著者の蕭吉は南朝梁の武帝の兄である蕭懿の孫にあたるが、西魏が江陵を陥落させて以来北朝に帰した。隋の文帝に取り入って寵愛を受け[1]、煬帝にも信頼された[2]。大業10年か11年ごろ(614年-615年)没した[2]。 『隋書』芸術伝に載せる蕭吉の著書のうちに『五行大義』は見えない。中村璋八は伝に「古今の陰陽書を考定す」[3]とあることから、この陰陽書が『五行大義』であったと推測できるという[4]。 『五行大義』の書名は『旧唐書』経籍志[5]、『新唐書』芸文志[6]、『宋史』芸文志[7]に見えるが、その後の目録に見えず、中国では滅んだと考えられる[8]。いっぽう日本では『続日本紀』天平宝字元年(757年)の勅で陰陽生の必読の教科書の中に『五行大義』が見えており、早くから重視されていたことがわかる[9]。江戸時代には刊本も現れ、庶民の間にも広く読まれるようになった[10]。 中村璋八は、「中国では五行書が余りにも多かった為に、その存在が忘れられて散逸してしまったのに対し、日本では、この書は陰陽五行説を最も要領よく記していた為に、陰陽家等に重用され」たと推測している[11]。 構成『五行大義』は5巻からなり、全体を24段に分ける。ひとつの段がさらに複数の段に細分されている場合があり、それらをすべて合わせると40段になる。
テクスト元禄12年(1699年)にはじめて刊行され[12]、その後に林述斎『佚存叢書』(1799年)にも収録された。中国へは『佚存叢書』本が逆輸入され、『知不足斎叢書』にも収録された。 評価阮元は、『五行大義』の中に緯書などの逸書を多数引用していることに注目している[13]。 ジョゼフ・ニーダムは、『五行大義』を五行についての最も重要な中世の書物とし、どの書物よりも科学的事項を多く扱い、推命などの疑似科学を扱うことが少ないとして、高く評価している[14]。 脚注
参考書籍
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