九戸信仲
九戸 信仲(くのへ のぶなか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。通称は右京。九戸信実の子。 略歴南部氏の庶家九戸氏の出身。九戸政実、九戸実親、久慈政則、中野康実、七戸家国室の父といわれ、九戸郡九戸村大字長興寺の大名館が居館跡といわれている。政実が二戸福岡の九戸城に本拠を移したのは永禄12年(1569年)の頃とされている。 長興寺九戸郡九戸村大字長興寺にある寺で曹洞宗。山号は鳳朝山。長興寺は九戸氏の菩提寺として創建された。永正元年(1504年)信仲の開基により、加賀宗徳寺の大陰恵善和尚の開山と伝える。江刺家長徳寺・伊保内円通寺などを末寺として持つが、政実のとき九戸氏が滅亡して衰退。元禄6年(1693年)山火事によって類焼し一切を消失した。現在の本堂は嘉永5年(1852年)の再建。 天正19年(1591年)九戸政実の乱の際に降伏の斡旋を行った4世薩天和尚は有名である。 系譜参考文献
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