丹野研太
丹野 研太(たんの けんた、1986年8月30日 - )は、宮城県仙台市泉区出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 来歴2007年、当時九州リーグ所属だったV・ファーレン長崎へ期限付き移籍。レギュラー取りとはならなかったが、公式戦初出場を果たす。シーズン終了後にC大阪へ復帰したが、復帰後もキム・ジンヒョンの控えにとどまった。 2011年途中に大分トリニータに期限付き移籍。この年はシーズン終盤の数試合にスタメンで出場した。 2012年からは完全移籍となり、1月23日に入籍もした[1]。清水圭介の後塵を拝しベンチを温める日々が続いたが、第41節・モンテディオ山形戦でスタメンに抜擢されると、以降のJ1昇格プレーオフを含む全公式戦に出場し全試合で失点を許さず、大分のJ1昇格の立役者の一人となった。また、12月26日にユアテックスタジアム仙台で開催された日本プロサッカー選手会主導のチャリティーマッチである「チャリティーサッカー2012」に東北ドリームスの一員として試合に出場した。 2013年はJ1初出場を含む自己最多のリーグ戦25試合に出場したが、チームは最下位に終わり1年でJ2降格。 2014年は古巣・C大阪に武田洋平と入れ替わる形で完全移籍で復帰した。同年は公式戦出場なしに終わったが、2015年はキム・ジンヒョンの負傷離脱によってチャンスを掴み、リーグ戦19試合に出場した。 2017年、ルヴァンカップで8試合、リーグ戦で3試合、天皇杯で4試合出場。その計15試合中無失点は9試合。守備陣をはじめとする全体の守備意識の向上もあったとはいえ、要所でのビッグセーブで何度もピンチを救い、2冠の原動力となった[2]。 2020年、川崎フロンターレに加入[4]。同年はJ1での出場は無かったが、第2GKとして常にベンチ入りを果たし、川崎のJリーグ優勝に貢献した。 2021シーズンも守護神チョン・ソンリョンの控えに留まっていたが、チョンが怪我で離脱したためJ1第7節・大分トリニータ戦で川崎加入後初出場を果たした。その後はソンリョンが復帰するまでの5試合に出場。4勝1分と好成績を残した。 2022シーズンも2ndGKの立ち位置であったが、チョンのアクシデントもありリーグ戦4試合に出場。同年を以て契約満了により退団、フロンターレでは出場した全試合で無敗だった[5]。 2023年よりJ3のいわてグルージャ盛岡に移籍[6]。1番手として38試合に出場した。 2024年よりJ2の栃木SCに完全移籍で加入。個人昇格のかっこうとなった[7]。 人物「誰が出場するか決まったら、そこからはチームメートとして素直にサポートする。」「GKは味方に安心感、安定感を与えるためにミスのない積み重ねが何より大事。後方からチームメートに声を掛けることも大事な役割であり、試合中や練習中のコーチングは基本的にネガティブにならないように意識している。大分時代に当時監督だった田坂和昭に「それ(ポジティブなコーチング)が持ち味だ」と言われ、その言葉を心に留めている。最初の頃は頑張って、意識して声を出していたが、今では自然と声が出るようになって、それが自分の武器になった。」と話している[8]。 FCみやぎバルセロナユース在籍時にセレッソ大阪のスカウト担当の小菊昭雄が丹野の獲得を目的に視察に来ていたが、偶然、2学年下で無名だった中学3年の香川真司を発見し、香川も2005年冬にセレッソへの内定が決まった。 所属クラブ
個人成績
その他公式戦
その他国際公式戦
タイトル
川崎フロンターレ
脚注
関連項目外部リンク
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