『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』(たんばてつろうのだいれいかい しんだらどうなる)は、1989年制作の日本映画。
心霊学と霊界の研究家としても知られる俳優の丹波哲郎のベストセラー「丹波哲郎の大霊界」の映画化作品。丹波は原作・脚本・総監督を兼任。後に舞台化もされた。
続編『丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!』(1990年)[2]、『大霊界3 死んだら生まれ変わる』(1994年)も制作された。
配給収入は9億円で、1989年の邦画第9位を記録した[3]。
あらすじ
学会へ出席する途中に事故に遭い死亡した物理学者の曽我隆が、霊人キヨに導かれて霊界へ行き、様々な冒険を繰り広げながら、人間界へ転生するチャンスを探る。
キャスト
スタッフ
- 特撮ユニット
- 特殊技術撮影:大岡新一
- 撮影:石渡均
- 照明:高野和男
- 美術:澤路和範
- 助監督:棚橋邦夫、保坂直輝
- ビジュアルエフェクト
- 視覚効果:中野稔
- 光学撮影:宮重道久
- ビデオ技術協力:IMAGICA特撮グループ、ソニーPCL
- 特殊効果:リバティハウス、大平特殊効果
- コンテ:泰泉寺博、樋口真嗣
- 作画:近藤薫
評価
- 岡田茂映連会長は「映画といえない、プロには考えられないような企画」と評した[8]。当時、松竹の奥山和由が岡田に東映での映画製作を要望したところ、岡田から『大霊界』のような作品を考えろと言われたことから、「『大霊界』は勘弁して下さい」と答え、代わりに持ち込んだのが『WINDS OF GOD』[9]であった。紆余曲折あり東映では『WINDS OF GOD』は映画化されなかった。
脚注
- ^ 「邦画フリーブッキング配収ベスト作品」『キネマ旬報』1991年(平成3年)2月下旬号、キネマ旬報社、1991年、143頁。
- ^ 配給収入は3.2億円[1]。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)480頁
- ^ 撮影当時の丹波義隆の愛犬。
- ^ 丹波は新東宝時代からの友人である若山に本作への出演を依頼した際、若山は既に心臓疾患を患い、体調に不安を抱えていたが、これを引き受けた。丹波は若山の体調を気遣いながら撮影を進めたが、「おまえはすぐ人を殴る。体調が悪くなったのはそのバチが当たったんだ。」と苦言を呈している。
- ^ ロケ地である岐阜県の当時の県議会議員。
- ^ 医学博士。ロケ地・織本病院(現・きよせ旭ヶ丘記念病院)の当時の院長。
- ^ 「63年度映画人口は1億4482万人と微増...」『AVジャーナル』、文化通信社、1989年2月、52頁。
- ^ 文化通信社 編『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』ヤマハミュージックメディア、2012年、244頁。ISBN 978-4-636-88519-4。
外部リンク