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中黒瀬村
なかくろせむら
中黒瀬村
廃止日
1954年3月31日
廃止理由
新設合併
上黒瀬村
、
乃美尾村
、
中黒瀬村
、
下黒瀬村
→
黒瀬町
現在の自治体
東広島市
廃止時点のデータ
国
日本
地方
中国地方
(
山陽地方
)
都道府県
広島県
郡
賀茂郡
市町村コード
なし(導入前に廃止)
総人口
3,985
人
(
国勢調査
、1950年)
隣接自治体
郷田村
、乃美尾村、
安浦町
、
郷原村
、下黒瀬村、
安芸郡
熊野跡村
中黒瀬村役場
所在地
広島県賀茂郡中黒瀬村大字丸山
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中黒瀬村
(なかくろせむら)は、
広島県
賀茂郡
にあった
村
。現在の
東広島市
の一部にあたる。
地理
河川:
黒瀬川
[
1
]
歴史
1889年
(明治22年)4月1日、
町村制
の施行により、
賀茂郡
市飯田村、切田村、兼広村、楢原村、菅田村、上保田村、川角村、丸山村、大多田村が合併して村制施行し、
中黒瀬村
が発足
[
1
]
[
2
]
。
1895年
(明治28年)黒瀬川治水工事実施
[
1
]
1905年
(明治38年)大字市飯田、切田、兼広、大多田などで砂防工事(
耕地整理
、排水工事を含む)を実施
[
1
]
。
1954年
(昭和29年)3月31日、賀茂郡上黒瀬村、乃美尾村、下黒瀬村と合併し、町制施行し
黒瀬町
を新設して廃止された
[
1
]
[
2
]
。
産業
農業
出身人物
藤田一郎
(広島県多額納税者、土木建築請負業、
藤田組
代表) - 生家は大多田の
農家
である
[
3
]
。
藤田定市
(フジタ工業会長) - 藤田一郎の弟
[
3
]
。
脚注
^
a
b
c
d
e
『角川日本地名大辞典 34 広島県』573頁。
^
a
b
『市町村名変遷辞典』548頁。
^
a
b
『建設界の新しい波 藤田組(企業の現代史26)』
32 - 33頁(
国立国会図書館デジタルコレクション
)。2023年9月29日閲覧。
参考文献
『建設界の新しい波 藤田組(企業の現代史26)』フジ・インターナショナル・コンサルタント出版部、1963年。
『
角川日本地名大辞典
34 広島県』。
『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
関連項目
広島県の廃止市町村一覧