中村八幡神社 (練馬区)
中村八幡神社(なかむらはちまんじんじゃ)は、東京都練馬区中村南にある神社。練馬区に4社ある八幡宮の一社で、正式名称は「八幡神社」だが、バス停留所などでは「中村八幡神社」と呼ばれている 祭神歴史この地にいつ八幡神社が建立されたかは定かではない。旧来より旧中新井村の氏地であり、現在では中村北、中村および中村南の氏社である。 『新編武蔵風土記稿』(1884年)の豊島郡中村の項目には、「村ノ鎮守ナリ、南蔵院持」とあり、江戸時代末期には同じ中村にある南蔵院が別当寺であった[1]。『北豊島郡神社誌』(1933年)には、「創立年代不詳ナルモ、徳川時代ヨリ、当中村町ノ産土神トシテ崇敬厚ク、明治七年四月、東京府ヨリ村社ニ指定セラレ、現在ニ及ブ」とあり、中村住人450戸が氏子であったと記されている。また『東京都神社名鑑』(1988年)によれば、言い伝えとして正保年間(1644年~48年)以前の建立だとしている[2]。 境内現在の本殿は安永2年(1772年)に再建されたもので、練馬区内で最も古い建築物の1つである。拝殿が慶応2年(1866年)改築とされる。他に神楽殿があり、こちらは昭和47年(1972年)と新しい。 境内には他にも、文政10年(1827年)12月吉日銘の狛犬や、日露戦役記念碑などの石碑、陰刻がある力石などかある。境内にある石碑の1つ、「祭典用地奉納記念碑」には、大正6年(1917年)に中新井村、堀之内村、中村の有志3名が当社の現在の敷地358坪中の215坪を寄付したと記されている。
首つぎ地蔵当社裏、かつて西光寺の敷地だった場所に「首つぎ地蔵」と呼ばれる地蔵像があった。 言い伝えでは、かつては首と胴体が別々の場所にあったが、信心深い2人の夢枕に立って繋げるよう伝え、首を運んで胴体に据えたらくっついたという。その由来から、昭和初期の不況時代には「首切り」を免れようと参詣者で賑わった[3]。現在、再開発によって地蔵像と祠は南蔵院に移築している。 境内社文化財練馬区登録有形民俗文化財八幡神社本殿
水盤
現地情報
脚注出典
参考文献関連項目外部リンク
|