中川裕平
中川 裕平(なかがわ ゆうへい、1987年7月24日 - )は、三重県四日市市出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 来歴小学3年生でサッカーを始める[1]。四日市中央工業高校では1年で左サイドバック、2年でセンターバック、3年でボランチを担当した[1]。1年時の第82回全国高校選手権では左サイドバックでスタメン出場していたが、準々決勝前日にインフルエンザを発症して試合を欠場[1]。チームは国見に敗れた。2年時は県大会決勝で津工業に敗れ選手権出場を逃した。3年時には主将を務め[1]、2年ぶりの出場となった第84回全国高校選手権では2回戦で野洲に敗れた。 高校卒業後のJ1クラブ加入を目指し、名古屋グランパスエイトの練習にも参加したがオファーは届かず、早稲田大学社会科学部へ進学した[1]。ア式蹴球部では4年時の2009年に主将を務め[2]、同年の第25回夏季ユニバーシアードに出場するユニバーシアード日本代表に選出され、銅メダルを獲得した。 Honda FCでは2016年の天皇杯の3回戦でJ3所属のグルージャ盛岡戦で後半アディショナルタイムに決勝点を挙げ、この得点が天皇杯を象徴するジャイアントキリングであったとして「SURUGA I DREAM Award」を受賞している。 2016年をもって現役を引退[3]。 所属クラブ
個人成績
代表歴
脚注関連項目
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