中区 (仁川広域市)
中区(チュンく)は、大韓民国仁川広域市の区である。19世紀後半、開港場である仁川港を中心に開かれた一帯で、港湾都市としての仁川の中心部を構成する旧市街地である。仁川国際空港のある永宗島やその周辺の島も区域に含まれ、現在も首都ソウルの玄関口としての役割を果たしている。 2026年7月1日をもって廃止予定。 地理現在「自由公園」がある応峰山(ウンボン山/응봉산、82m)の南側の海岸に仁川港が開かれ、港と山の間の一帯に租界が設定された。応峰山の西に京仁線の仁川駅が設けられた。西北の沖合いには月尾島がある。この一帯が仁川の旧市街地(仁川府)で、京仁線の線路より北が東区となる。また、東に弥鄒忽区と隣接する。 現在の中区の区域は、埋め立てや併合によって大きく広がっている。仁川港の南側に造成された仁川南港や沿岸埠頭、国際流通団地なども中区に属し、これらの地域は運河状に残された海を隔てて延寿区と隣り合っている。また、沖合いに浮かぶ島々の多くは甕津郡に属するが、このうち永宗島・舞衣島・実尾島・八尾島などは中区に所属する。なお、中区の総人口約15万5千人のうち、約11万人はこれらの島嶼にあり、本土部の人口は約4万5千人しかない[2]。 歴史朝鮮王朝時代には仁川郡(中心地は現在の弥鄒忽区文鶴洞付近)に属する済物浦(さいもっぽ/チェムルポ)と呼ばれた漁村であった。西洋列強や日本・清国によってソウルに最も近い良港として着目され、1882年の済物浦条約や朝米修好通商条約などがこの地で結ばれている。 1883年、済物浦が仁川港として開港されると、港を中心に日本租界・中国租界・各国租界(共同租界)が設定されて領事館が置かれ、市街地が形成された。開港地は海外から西洋的・近代的な文物や機構・思想がもたらされた場所であり、仁川の開港地は郵便事業、プロテスタントの本格的布教、近代西洋的な公園の造成などが朝鮮でいち早く始まった土地である。また、韓国に土着化した中華料理の代表格であるチャジャンミョンは仁川の中華街で発祥した。 これらの租界は、朝鮮が日本に併合された後の1914年に撤廃された。日本統治下に置かれた仁川府は、租界を管理していた理事庁の系譜を引くものであり、当初は開港地であった中区一帯のみを管轄していた。仁川理事庁の建物は仁川府庁によって使用され、改築を経て現在は中区庁として使われている。 仁川の旧市街は、朝鮮戦争時の仁川上陸作戦の舞台となった地域でもある。この作戦は戦況の大転換をもたらしたが、市街地も戦災を蒙った。休戦後、仁川上陸作戦を記念して応峰山の公園にはダグラス・マッカーサーの像が建てられ、公園の名も「自由公園」と改められた。 開港期以降、官公庁や銀行・教会や民家などの近代建築物が多く建てられた。これらの建物は朝鮮戦争による戦災に加え、失火や老朽化による取り壊しによって失われていった。また、中華街も第二次世界大戦後の政治的・社会的な状況の中で衰退した。近年、これら開港地に由来する景観や近代化遺産の見直しが進められており、観光資源としても整備されるようになった。 →詳細は「仁川広域市 § 歴史」を参照
行政下部行政区画12行政洞(52法定洞)からなる。
警察
消防交通空港鉄道
※ 崇義駅の所在地は弥鄒忽区であるが、中区との境界上にある。 高速道路
港湾文化・観光
(仁川広域市有形文化財も参照) 友好都市脚注
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