下出祐太郎
下出 祐太郎(しもで ゆうたろう、1955年3月17日 - )は、日本の蒔絵師、詩人。学位は博士(学術)(京都工芸繊維大学・2010年)。京都産業大学文化学部・京都文化研究科教授、下出蒔絵司所当主(3代目)。京都産業大学名誉教授。現代の名工・卓越技能章(2021年)、瑞宝単光章(2023年春の叙勲)、京都市芸術振興賞[1](2024年)。 京都伝統工芸専門校講師、京都伝統工芸大学校教授、京都美術工芸大学工芸学部教授、京都工芸繊維大学伝統みらい教育研究センター特任教授などを歴任した。 概要京都府京都市出身の蒔絵師である。下出蒔絵司所3代目。同志社大学文学部卒業。在学中より家業の蒔絵の手ほどきを受け、大学卒業後、漆芸家の東端真筰や佐治賢使に師事する。日展では、第14回~第37回日展24回連続入選。以後作家としてはフリーで活躍。京都府仏具協同組合所属、経済産業大臣認定伝統工芸士として家業の家庭仏壇並びに寺院仏具蒔絵を制作。即位の礼・大嘗祭の神祇調度蒔絵、伊勢神宮式年遷宮御神宝に携わる。伝統工芸及び漆文化を研究。文化財の保存修理、復元に携わる一方、近代産業との共同研究、コラボレーションをはかる。後継者育成にも力を注ぐ。詩人としても活躍し、第二詩集、第三詩集が、H氏賞候補となった(1984年度・1995年度)[2]。 来歴生い立ち1955年3月17日、京都府京都市下京区生まれ。同志社大学文学部文化学科国文学専攻卒業(文学士)[3]。「漆の美の物性と伝統髹漆法に関する研究」[4]と題した博士論文を執筆し、2010年9月24日に京都工芸繊維大学より博士(学術)の学位を授与された[4][5]。1995年(平成7年)、京都伝統工芸専門校の立ち上げから講師を務め、京都伝統工芸大学校では教授を務めた。2012年(平成24年)京都美術工芸大学設置に伴い、同大学教授に就任。2015年(平成27年)京都産業大学文化学部京都文化学科教授、2017年(平成29年)に同大学京都文化学研究科教授に就任した[6]。 蒔絵師として初代・祐顕から京都府仏具協同組合に所属。2005年竣工の京都迎賓館では、60点もの漆工芸調度品を担当。会談室に収められた飾り台「悠久のささやき」は、7万粒のプラチナで川の流れを表現した代表作である[7]。2006年から京都工芸繊維大学の特任教授となり、漆の特性や、熟練職人の動作を解析。2010年に博士号を取得。また、2002年より、高台寺蒔絵の研究を開始。超高精細なデジタルデータを用いて解析することで、桃山時代当時の蒔絵技法を明らかにし、2011年に屏風2隻を復元制作した。これらの屏風は2011年11月から2012年3月までロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で展示された。 縮小の一途をたどる伝統工芸産業ではあるが、蓄積された知恵や美意識は日本のものづくりの原点と位置付け、後継者育成に力を注ぐ。漆文化を広げるため、漆の特性を近代産業に生かすことにも注力し、企業との共同研究(2014年~NEC、2018年~カシオ)を推進している[8][9]。2016年2月下旬から3月上旬に外務省「日本ブランド発信事業」の海外派遣専門家として、「蒔絵文化と未来への継承」に関する講演やワークショップをイタリア、スペイン、ポルトガルの3か国で実施した[10]。大覚寺嵯峨天皇宸翰勅封般若心経の復元制作、富山県越中八尾曳山祭の曳山屋台(上新町)の八枚彫りと見越の修理修復などにも携わる[11][12]。 詩人として蒔絵師としての活動と並行して詩人としても活動しており[13]、H氏賞の候補として二度ノミネートされている[13]。詩を書くという行為について、下出は「自分という玉ねぎをむいていくこと」[13]と表現している。 著作作品集
著書
詩集
エッセイ集
出演テレビ
新聞掲載
脚注
関連項目外部リンク
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