上宮学園中学校
上宮学園中学校(うえのみや がくえん ちゅうがっこう、英称:Uenomiya Gakuen Junior High School)は、大阪府大阪市天王寺区上之宮町にある私立の中学校。上宮高等学校併設の「上宮中学校」が、系列の上宮太子中学校(大阪府太子町)とともに廃校となり、2中学を統合した形で2018年(平成30年)度に新設された。設置者は学校法人上宮学園。 概要団塊ジュニア世代の卒業した1990年代から始まった少子化と私立中学校受験者の激減に伴い、近畿圏の私立中学校のレベルが低下し、入試レベルも二極化。一方で中学校の数は変わらないため、大阪府内の私立中の3分の1が定員割れとなった。 上宮中学校は「レベル的に言えば特進(コース)で偏差値50ほど、アップコースで45と言っている」状況で、同じ難関の私立中も「偏差値が50あるならば、明星・清風・大阪女学院に十分合格できる(40台でも合格する可能性は高くなっている)」状況まで落ち込んでいた。また、太子町にある上宮太子中学校も2014年(平成26年)度の入試で「『1次B』の手続き者が『0』」となるなど「毎年生徒募集には苦労」しており[1]、上宮中学校と上宮太子中学校の2校を統廃合する形で開校した。 上宮高等学校と共通の校舎(本館および新校舎)は、大阪府近代化遺産(建造物等)となっている。図書館は府内の学校でも5本の指に入る広さと5万冊を超える蔵書数(年2回新しい本を約1000冊購入している)。江戸時代の掛け軸など多数の歴史的学術資料を有しており、織田作之助の文学にも登場する。2007年春には、高校OBで直木賞作家司馬遼太郎の在校時の作品が発見された。 大阪府内でも珍しい屋内プールがあり、水泳活動が年中でき、水泳部の部活も充実している。 沿革母体の上宮高等学校は浄土宗知恩院派によって1890年(明治23年)創立の浄土宗教校大阪校を源流とする大阪で最古の私学で、1912年(明治45年)3月に旧制中学校「上宮中學校」として設立を文部省から認可(告示第86号[2])。その旧制中学を母胎として1947年(昭和22年)、太平洋戦争後の学制改革に伴う新制の中学校「上宮中学校」が設置された。 1967年に生徒募集を休止。長らく事実上の廃校となっていたがバブル景気の1980年代に太子町に移転し「上宮太子中学校」として復活開校。1993年(平成5年)新たに「上宮中学校」が天王寺区に開校された。 年表
基礎データ生徒数学則定員(各3学年合計)480名[5]。2020年(令和2年)度の入学者(1年生)111名[6]。 諸費用初年度の費用(授業料など)は、126万円(2019年度の実績[6])。 交通アクセス鉄道バス
象徴校訓・学順
「一に掃除、二に勤行、三に学問」であり、身の回りを学習に専念できる環境に整えてから、学問に励む、という意味である[5]。 勤行の読み方は上宮内だけの特殊な読み方で「ごんぎょう」ではなく「きんぎょう」である。 校歌浄土宗宗歌と同じく法然上人の詠んだ歌で、「月影」と呼ばれており、日本で一番短い校歌としても有名でテレビで取り上げられたこともある[5]。 「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞ澄む」 校内では毎朝8時20分月影が流れている。 毎朝8時25分には月影 鐘verで流れている。 制服男子の制服はV字型の詰襟で、女子の制服は丸襟ブラウスとノーカラージャケット、フレアスカート[6]。 授業設置学科・コース「特進コース」「Gコース」がある[6]。 部活動 == イングランドのスポーツのクリケット部があります。日本代表選手もいます。 日本代表としてロンドンのローズ競技場にて、試合を行いました。 学校行事修学旅行2019年(令和元年)の場合、3年生は9月にシンガポールへ修学旅行を行った[7]。 ちなみに旧「上宮中学校」の修学旅行先は東北・北海道(4泊5日)で、沖縄県だった時もあった。2011年・2012年度は、東日本大震災の影響で熊本県・大分県に変更。2014年度は長崎県4泊5日の予定が、熊本地震の影響で東京都4泊5日に変更となった。 著名な出身者上宮中学校
脚注
関連項目
外部リンク |