三輪 市太郎(みわ いちたろう、1867年5月21日(慶応3年4月18日[1][2])- 1930年(昭和5年)2月8日[3][4])は、明治から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員、愛知県会議長。
経歴
尾張国海西郡、のちの愛知県[3]海部郡八開村[4][5][6][7][8][9](現愛西市)で、三輪伊三郎の四男として生れ[2]、1884年(明治17年)兄・伊兵衛の後を承けて家督を相続した[2]。普通学、漢文学を修めた[5]。農業を営む[10]。
土木会社勤務を経て、独立して鉄道工事の土木請負業を営む[6]。資金を工面するため必要最小限の財産以外の全てを売却した[6]。次第に工事施工の内容に信用を獲得して事業を拡大した[6]。その後、中央土木社長、愛知鉄道社長、海島銀行取締役、日光川倉庫銀行監査役、愛知開墾社長などを務めた[2][3][5][6][7][10]。
政界では、八開村会議員、水利組合会議員、海西郡会議員、同議長、愛知県会議員、同副議長、同議長を務めた[2][3][4][5][6][7]。1912年(明治45年)5月、第11回衆議院議員総選挙(愛知県郡部、立憲政友会所属)に出馬して初当選[2][11]。その後、1928年(昭和3年)2月の第16回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続6期在任した[3][4][8][9]。この間、政友会愛知支部常任幹事、同幹事長、政友会協議員、同幹事、同院内幹事、同党務委員会理事、同常務員会長、同院内総務、政友本党政務調査会長、政友会政務調査会長などを務めた[3][6][7][9]。
その他、海部郡農会議員、愛知県農会議員、帝国農会議員、同評議員などに在任し[3][4]、海部地域の治水対策などに尽力した[8]。
国政選挙歴
脚注
- ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、12頁。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』み4-5頁。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 – 衆議院議員名鑑』620頁。
- ^ a b c d e 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』434頁。
- ^ a b c d 『現代日本の政治家』政友会189-190頁。
- ^ a b c d e f g 『東京名古屋現代人物誌』198-201頁。
- ^ a b c d 『大日本人物名鑑〔巻4の1〕』18-19頁。
- ^ a b c 『愛知県姓氏歴史人物大辞典』562頁。
- ^ a b c 『立憲政友会功労者追遠録』431-432頁。
- ^ a b 『人事興信録 第8版』ミ39頁。
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』55頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』89頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』13頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第15回』15頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第16回』187頁。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
- 長江銈太郎『東京名古屋現代人物誌』柳城書院、1916年。
- ルーブル社出版部『大日本人物名鑑〔巻4の1〕』ルーブル社出版部、1922年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会『愛知県姓氏歴史人物大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典23、角川書店、1991年。
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