三枝佐枝子三枝 佐枝子(さいぐさ さえこ、1920年10月4日 - 2023年1月12日)は、編集者、評論家。旧姓、若尾。 略歴若尾金造の三女として山梨県甲府市に生まれる[1]。生家の若尾家は甲州財閥の中心的存在だった。1938年東洋英和女学院高等部、1941年日本女子大学を卒業。1942年、同郷の三枝守雄と結婚。守雄は東大生時代に本郷追分のYMCAに寄宿していたことから佐枝子と知り合った。1946年4月には中央公論社へ入社し、1958年、嶋中鵬二に代わって『婦人公論』編集長となり、日本で初めて商業誌の女性編集長となった。揺れ動く性道徳や女性観の中で斬新な誌面を作った。のち編集局長。1968年に退職し、1973年には商品科学研究所所長を務める。1978年から西部百貨店監査役を務める[2]。1984年から7年間山梨県立総合婦人会館館長と県教育委員を務め[2]、『山梨女性史ノート』編纂にも携わる。また、同年から13年間、読売新聞の人生相談を担当した[3]。 夫のある身で職業と家庭を両立させ、人生相談で不倫の相談をしてくる者に厳しい回答を与えていたのは、女性の評価がそういうことで下がってはならないという強い意志の表れだった。 著書
共編著
脚注
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