三文化広場座標: 北緯19度27分4秒 西経99度08分14秒 / 北緯19.45111度 西経99.13722度 三文化広場(スペイン語:La Plaza de Tres Culturas)とは、メキシコ合衆国メキシコ市のトラテロルコ地区にある広場である。この広場は、メキシコが辿った3つの歴史文化を見ることが出来る事から、「三文化」と名づけられた。メキシコの建築家で都市計画の専門家マリオ・パニによって設計され、 1966年に完成した[1][2]。 最初の文化この地は、元はアステカの商業都市トラテロルコであった。そして、1521年8月13日、アステカ第11代君主クアウテモックが、エルナン・コルテス率いるスペイン軍に包囲され籠城戦ののち降伏したのも、この地である。広場にある記念碑には、こう記載されている。 EL 13 de agosto DE 1521 第二の文化そして、スペイン植民地「ヌエバ・エスパーニャ」時代、多くのアステカ遺跡は破壊され、広場傍のサンティアゴ教会など建築物の資材として再利用された[4]。 第三の文化最後に、近代のビル群である。元外務省のビルは、2007年10月22日にメキシコ国立自治大学の文化センター、そしてMemorial del 68 と呼ばれる博物館となっている[6]。この博物館は、1968年10月2日に、この広場で起きたトラテロルコ事件について取り扱っている。 脚注
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