三宅貞彦

三宅 貞彦(みやけ さだひこ、1891年明治24年)3月18日 - 1956年昭和31年)10月22日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

岡山県出身。1912年(明治45年)5月、陸軍士官学校(24期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官。

1939年(昭和14年)3月、歩兵大佐に昇進し、第116師団兵器部長に就任。支那事変に出征。1940年(昭和15年)4月、歩兵第80連隊長に転じ朝鮮に赴任。1943年(昭和18年)1月、東部ニューギニアに派遣され、ニューギニアの戦いに参戦。

1944年(昭和19年)3月、陸軍少将に進級。岡山連隊区司令官への転補を発令されたが、内地帰還の方途がなくニューギニアに留まり、同年5月、第20師団長心得に発令された中井増太郎少将の後任として第20歩兵団長に任命された[1]オーストラリア軍と戦闘を交える中、アリスで終戦を迎えた。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[2]

栄典

脚注

  1. ^ 戦史叢書『南太平洋陸軍作戦 <5>』63頁
  2. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。
  3. ^ 『官報』第167号「叙任及辞令」1913年2月21日。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 防衛庁防衛研修所『南太平洋陸軍作戦 <5> アイタペ・プリアカ・ラバウル』朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1975年。