三宅剛一
三宅 剛一(みやけ ごういち、1895年1月1日 - 1982年10月8日)は、日本の哲学者。専攻は臨床哲学・倫理学。文学博士(京都帝国大学)。長男は歴史学者の三宅正樹。 生涯岡山県浅口市鴨方町益坂出身。旧制私立金光中学校(現:金光学園中学校・高等学校)、旧制第六高等学校(現:岡山大学)を経て、1916年に京都帝国大学哲学科に進み西田幾多郎、朝永三十郎、波多野精一に学ぶ[1]。卒業後は旧制新潟高等学校(現:新潟大学)や東北帝国大学理学部の教授を歴任した。ドイツにも留学し、フライブルク大学でフッサールから現象学の手法を学んだ。1943年「学の形成と自然的世界:西洋哲学の歴史的研究」により京都帝国大学文学博士[2]。戦後は1949年に新制大学となった東北大学文学部教授、1954年母校京都大学に招かれ文学部哲学科教授[3]。1958年京都大学を定年退官してからは学習院大学教授も務めた。1960年から4年間、日本哲学会会長の任にあった。1968年日本学士院会員[4]。 栄典著書
関係論文酒井潔「西田幾多郎と三宅剛一 :『歴史』ということをめぐって」『西田哲学会年報』第5号、西田哲学会事務局、2008年、21-43頁、doi:10.32133/jnpa.5.0_21。 脚注外部リンク
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