朝永三十郎朝永 三十郎(ともなが さんじゅうろう、明治4年2月5日(1871年3月25日)- 1951年(昭和26年)9月18日)は、日本の哲学者。京都大学名誉教授(西洋哲学)、文学博士、日本学士院会員。京都学派を代表する人物の一人。 兄は工学者で京都帝国大学工科大学教授の朝永正三[1]、長男は物理学者で東京教育大学教授の朝永振一郎。 人物大村藩士・朝長甚次郎の子として長崎県東彼杵郡川棚町で生まれる。長崎県大村中学(第一回入学者・現長崎県立大村高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学で学ぶ。丁酉倫理会会員となり、哲学館事件においては意見書に名を連ねた[2]。同大卒業後、1907年京都帝国大学文科大学哲学科助教授、1909年から1913年までヨーロッパ諸国に留学し、ドイツのハイデルベルク大学でヴィルヘルム・ヴィンデルバントに学んだ[3]。1913年教授となり、西洋哲学・哲学史等を講じる。当時は、西田幾多郎や田辺元らが京都帝国大学文科大学(のち文学部)に在籍し、哲学の「京都学派」として時代を席巻していた時期であった。1931年京都帝大定年退官後は、大谷大学教授を務めた。1948年(昭和23年)10月17日、日本学士院会員に選出。1951年(昭和26年)9月18日、脳溢血のため京都市内の自宅で死去。81歳没[4]。墓所は京都市東大谷墓地[5]。 寡作で知られ、著書としては『近世に於ける「我」の自覚史-新理想主義とその背景-』『ルネサンス、及び先カントの哲学』『カントの平和論』等がある。
教え子には、天野貞祐・山内得立・小原国芳・高坂正顕・三井 栄典著書
回想
脚注
参考文献外部リンク |