七度狐『七度狐』(しちどぎつね/ななたびきつね)または『七度狐庵寺潰し』(しちどぎつねあんでらつぶし)は上方落語の演目の一つ。原話は、寛政10年(1798年)に出版された笑話本・「無事志有意」の一遍である『野狐』。道中噺『東の旅』(本題『伊勢参宮神乃賑』)の一編。 主な演者として、5代目笑福亭松鶴、2代目桂小文治、3代目桂米朝や2代目桂枝雀、3代目笑福亭仁鶴、桂文珍などがいる。 あらすじ煮売屋喜六と清八のコンビが、伊勢参りの途中でとある煮売屋(昔の簡易食堂)に立ち寄った。 「あのなぁ、酒はあるか? 何々、『村さめ』と『庭さめ』と『じきさめ』?」 『村さめ』は【村を出た辺りですぐ醒める】、『庭さめ』は【店を出た途端にすぐ醒める】、『じきさめ』は【飲んだ傍からすぐ醒める】…。 「呑まん方がましや、そんな酒。ぎょ~さん酒ん中へ水回すんやろ?」
発端変な酒を飲まされ、頭にきた二人は手近にあった《イカの木の芽和え》を失敬すると、スタコラと茶店を逃げ出した。このイカの木の芽和えは売り物ではなく、村の寄合いから注文を受けた品であった。 「ハァ…ハァ…、もういいやろう。はやいとこと食べよ」
という訳で、喜六がすり鉢を向こうの草むらへひぃふの三、ポ~ン! そこで寝ていた狐の頭にガン!! 「クスンクスン、悪い奴なあ! おのれぇ~、憎いは二人の旅人。よくも稲荷の遣わしたる、狐に物を当てよったな! 思い知らさん、今に見よッ!」 この狐、二つ名を『七度狐』といい、一度ひどい目に合わされたら、その相手を七度続けて化かすという執念深い狐だった…。 ただし、演者によっては、煮売屋は登場せず、石ころを投げなてるうちに当たったというパターンと、まだ食べ頃じゃないスイカを食べて、不味いと思って捨てた食べかけのスイカが当たるパターンがある。 仕返し「清ぇやん、何を思案してんねん?」
考え込んでいる清八の前には、大きな川が流れている。確か、前に通ったときは川なんかなかったはずだ。 「ちょっと、そこの石放り込んでみ」
バサバサッ…。 「解った、こらやっぱり急にできた川や。下一面の麦畑や、今ちょ~ど実が実ったとこやないか、そこに水が張ってんねや」 それならわたる事は簡単だ。二人は着物を脱ぐと、全部まとめてくるんで頭に縛り、落ちていた竹を手に川へバチャバチャ…。 「見てみぃ。お前とこの麦畑、旅人が二ぁり裸んなって踏み荒しとぉるぞ!」
村人に呼びかけられ、ハッとわれに返ると川が消えている。代わりに広がるは麦畑…。 「この辺にはなぁ、いっぺん仇されたら七へん騙して返す、【七度狐】といぅ悪い狐が居るんじゃ」
その夜何時しか日はとっぷりとくれ、しかも道幅がどんどん狭くなってきた。 「こらぁ野宿やな」
喜六がパニックになっているのを尻目に、清八がふと上を見ると…明かりがチラチラと見えた! 「ちょっとお頼の申します」 そこは山寺だった。中に入ると尼さんがいて、話をすると快く泊めてくれた。 「何もありませんが、『ベチョタレ雑炊』でもあがりませんか。」 「へえ。腹空いてますねん。ありがとうさんで。・・・」 食べて見るとどうも変な味である。きけば、赤土の出汁に藁が入っているという奇妙な物。 「もう、よろしい。これで、左官入ったら腹ン中壁出来るわ。」と早々に切り上げる。 しばらくして…。 「泊った早々、こんなことお願いして何でございまんねやが、実はちょっとお二人に留守番がお願いしたいんで」 何でも、下の村で高利貸しのおさよ後家という婆さんが亡くなって、死後もお金に執念があるのか化けて出るので成仏させに行くというのだ。 「寺も宵の口は寂しゅございますが、夜が更けると幽霊で賑やかになります」
阿弥陀様の前の、お灯明さえ消えなければ幽霊は出ない。そういって尼さんは出かけてしまった。 「おい、もぉ油何ぼも入ってないで」
喜六が油と間違えて醤油を注いでしまったせいで、とうとう灯は消えてしまった…。 庵寺つぶし二人がぶるぶる震えていると、棺おけを担いだ集団がなだれ込んできた。 何でも、例の『金貸しの婆さん』があまりにも恐ろしいので、早く成仏させてもらおうとお寺に運んできたのだという。 遠回りをしてきたので、尼さんとすれ違いになってしまったのだ。 「尼はんじきにこっち戻ってもらいまっさかい、これ預かっといて」 集団は、棺おけを下ろすとさっさと帰ってしまった。それからしばらく経って…。 「金返せぇ~」 棺おけのふたがポ~ンと飛ぶと、中から老いさらばえた老婆が白髪振り乱して、それへズ~ッ! 「出た、出た出た…、わたしらあんにお金お借りしたもんと違います。伊勢参りの旅のもん、旅のもん!」
とんでもない事になったが、もはや歌わないわけにはいかないだろう。 「伊勢わぁ~津でもぉ~つ 津わぁ~伊勢でぇもぉつぅ~♪」
終幕「ちょっと見てみぃ。最前の旅人が、今度は石の地蔵さんの前で伊勢音頭唄とぉてるぞ」 さっきの村人が、また騙されている喜六と清八を見つけた。 「しばらく大人しゅ~してると思たら、またやり出しやがった。いっぺん懲らしめてやろぉか」 お百姓二人に追い詰められ、狐は逃げ場がなくなった。 「さぁ~っ、掴んだ! 放すなよ」
お百姓が思いっきり引っ張ると、狐の尻尾が…抜けた!! 「と見たら、畑の大根を抜いとぉりました」 この続きこの噺はフルでやると長いため、上述のように3つ目に騙された大根のくだりでサゲることが多く、そのため、このあとの騙されるくだりは次第に廃れていったために現代ではこの先を完璧に演じられる噺家はほぼいない。 桂文珍が廃れてしまったこの先のくだりを創作した『新編・七度狐』では「石段を登っていたら、気がつくと水車の上で歩いていた」、「道でバッタリ会った人にオレオレ詐欺をされたと思ったら、地蔵の前に立っていた」、「街について、宿を取り、露天風呂に入って暖まって疲れを癒そうとするが、体はかえって冷えるばかり…と思ったら、川で行水していた」、「助けてくれた侍を狐だと勘違いし殺害してしまい、その罪で斬首刑に処され、堕ちた自分の首を探して抱きかかえていたら、気がつくとスイカ畑を荒らしていた(サゲ)」といったものが続く。 ちなみに7つ目のくだりは、二人が警戒しすぎていたために狐が裏をかいて「7つ目をあえて化かさないというのが7つ目の化かし」として侍を殺したことが現実だと思わせるくだりがあるが、ハメモノとして化かされる度に太鼓が鳴る演出がある場合、このくだりで太鼓が鳴らないためにまだ化かしは終わっていないと客に気づかせる余地が与えられることがある。 狐の出てくる小噺堺の魚屋が、広田の森で「家出してきた」と言うお嬢さんとであった。 そいつを狐だと見破った魚屋が「その手は古いぞ!」と怒鳴りつけると、娘の姿は消えた。 その後も、狐は老人…老婆…江戸っ子と次々に化けて出てくるも、魚屋は全て見切って去ってしまう。 しばらく経ち、魚屋が住吉の浜まで来ると、波打ち際に大きな鯛が打ち上げられていた。 「こいつはツイとるわい」 魚屋が手を伸ばすと、鯛がいきなり目をむいて「これでも古いか?」
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