ヴェッティン家ヴェッティン家(ドイツ語: Haus Wettin)は、中世以来、主にドイツのザクセン地方、テューリンゲン地方を支配した有力な諸侯の家系。後述するように9世紀ごろに発祥したリクベルト伯爵から21世紀の現在に至るまで男系の子孫が絶えずに続く稀有な家系である。 概要主流となるのはザクセン選帝侯(一時はポーランド王も兼ねた)、ザクセン王の家系であるが、分家も多く、ザクセン諸公国の君主となった。その1つ、ザクセン=コーブルク=ゴータ家はベルギー、ブルガリアの王家となった他、イギリス、ポルトガルの王家にもつながっている。家名は現ザクセン=アンハルト州のヴェッティン城に由来する。 男系で、822年に受爵したリクベルト伯爵までさかのぼれる古い家系で、現存する欧州貴族の家系ではロベール=カペー諸家に次いで古い家系とされ、ヨーロッパでも一二を争うほど歴史のある名門でもある。978年にマイセン辺境伯となったリクダックはヴェッティン家出身といわれている。以後ザクセン=オストマルク辺境伯家やマイセン辺境伯家と婚姻関係を結ぶ中、11世紀前半にディートリヒ2世がオストマルク(ラウジッツ)辺境伯となり、また、孫のハインリヒ1世はマイセン辺境伯位も兼ね、以後、マイセン辺境伯位およびラウジッツ辺境伯位を同家が世襲した。1423年にはフリードリヒ1世が断絶したアスカーニエン家の後をうけてザクセン=ヴィッテンベルク公位を与えられてザクセン選帝侯となり、同家は旧辺境伯領とザクセン公領を合わせた広大な領地を一族で(時として分割相続を繰り返しながら)相続することとなった。15世紀半ばのフリードリヒ2世の二人の息子の間で分割相続が行われた後、エルネスティン家とアルベルティン家の二家に分かれた。エルネスティン家は16世紀半ばまでザクセン選帝侯位を保持し、テューリンゲン諸公家に分かれた後、ザクセン=コーブルク=ゴータ家がベルギー・イギリス・ポルトガル・ブルガリアの王家を出し、子孫はいずれも現在まで続いている。また、アルベルティン家は16世紀半ばザクセン選帝侯位を獲得し、やがてポーランド王家およびザクセン王家となり、こちらも子孫は現在まで続いているが、嫡流は2012年に断絶した。 系図
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