ヴィットーリオ・アメデーオ3世(イタリア語: Vittorio Amedeo III、1726年5月24日 - 1796年10月16日)は、サルデーニャ王国の第3代国王(在位:1773年2月20日 - 1796年10月16日)。カルロ・エマヌエーレ3世と、2度目の妃ポリッセナ・ダッシア=ローテンブルグの子。
生涯
1726年にトリノで生まれ、即位するまでは「サヴォイア公」という称号だった[1]。1773年に父が亡くなると王位についた。
フランス革命が勃発する前は、サルデーニャ王国で内政改革を推進した[2]。
フランス革命の勃発直後、亡命してきた娘婿アルトワ伯爵とその妻子を保護し、1791年にはアデライード王女とヴィクトワール王女を保護した。第一次対仏大同盟にも参加したが、モンテノッテの戦い、ミッレージモの戦い(英語版)、モンドヴィの戦い(英語版)などで連敗し、パリ条約を結ばされて同盟から脱落した。同年に病没し、トリノのスペルガ聖堂(英語版)に埋葬され[3]、後を長子のカルロ・エマヌエーレ4世が継いだ。
人物
ナイーブだが、家臣にはその寛大さで愛されたという[4]。
家族
1750年に、スペイン王フェリペ5世と後妻エリザベッタ・ファルネーゼの娘マリーア・アントニア(1729年 - 1785年)と結婚した[5]。結婚生活は良好で、マリーア・アントニアがヴィットーリオ・アメデーオ3世の政策に影響を与えることはなかったという[5]。2人は6男6女をもうけた[6]。
- カルロ・エマヌエーレ4世(1751年 - 1819年)
- マリーア・エリザベッタ(1752年 - 1753年)
- マリーア・ジュゼッピーナ・ルイーザ(1753年 - 1810年) - フランス王ルイ18世と結婚(夫の即位前に死去)
- アメデーオ・アレッサンドロ(1754年 - 1755年) - モンフェッラート公。
- マリーア・テレーザ(1756年 - 1805年) - フランス王シャルル10世と結婚(夫の即位前に死去)
- マリーア・アンナ(1757年 - 1824) - 叔父シャブレー公ベネデットと結婚
- ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世(1759年 - 1824年)
- マリーア・クリスティーナ・ジュゼッピーナ(1760年 - 1768年)
- マウリツィオ・ジュゼッペ・マリーア( 1762年 - 1799年) - モンフェッラート公
- マリーア・カロリーナ・アントニエッタ(1764年 - 1782年) - ザクセン王アントンと結婚(夫の即位前に死去)。
- カルロ・フェリーチェ(1765年 - 1831年)
- ジュゼッペ・ベネデット(1766年 - 1802年) - モリアーナ伯( - 1796年)、アスティ伯(1796年 - 1802年)
脚注
- ^ Campbell. John: The present state of Europe, London, 1761, p 341
- ^ Rich. Elihu: Cyclopædia of biography, a series of original memoirs of the most distinguished persons of all times ed. by E. Rich, 1854, p 804
- ^ Bertolotti. Davide:Istoria della R. Casa di Savoia, Antonio Fontana, 1830, p 289
- ^ Botta, Carlo: Storia d'Italia dal 1789 al 1814, 1837, Torino, p 105
- ^ a b Morselli. Mario: Amedeo Avogadro, a scientific biography, Springer, 1984, p 6
- ^ “Savoia”. 2010年8月26日閲覧。