ヴァイオレット・マースロウ
ヴァイオレット・マースロウ(Violet Mersereau, 1892年10月2日 - 1975年11月12日)は、アメリカ合衆国の女優である[1]。日本ではヴァイオレット・マーセローとも紹介された[2]。 人物・来歴1892年(明治25年)10月2日、ニューヨーク州ニューヨーク市に生まれる。2歳下の妹に後の女優クレア・マースロウがいる[1][3]。 1908年(明治41年)、アメリカン・ミュートスコープ・アンド・バイオグラフ・カンパニーに入社、ハリー・ソルター主演、D・W・グリフィス監督・脚本の短篇映画 The Feud and the Turkey に出演したのが、もっとも古い映画への出演記録である[1]。1911年(明治44年)には、カリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッドに移転したネスター・スタジオに移籍、翌1912年(明治45年)5月には、同社がユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)を形成する一社となり、マースロウもユニヴァーサル入りする[1]。その後は、ウィリアム・ガーウッドの共演者、あるいは主演者として多くの短篇映画に出演する[1]。 1916年(大正5年)、ユニヴァーサル傘下にブルーバード映画が設立されると、ネスター・スタジオやバイソン・スタジオでの短篇の合間に、レックス・イングラム監督の The Great Problem, 『足枷』、エドウィン・スティーヴンス監督の『女優の操』、『寄宿生』、 Susan's Gentleman, ハリー・ミラード監督の『夜明け前』、イングラム監督の The Little Terror, シオドア・マーストン監督の『深山の乙女』、『路辺の乙女』、ウィルフレッド・ルーカスおよびベス・メレディス共同監督による『馬上の花』、O・A・C・ランド監督の『相携へて』、『自然の乙女』と1919年(大正8年)初頭のブルーバード映画の末期に至るまで主演を飾り[1]、その多くが日本でも公開された[4]。同年、ウィリアム・ガーウッドの監督・主演による短篇映画 A Proxy Husband を最後に、ユニヴァーサルを去る[1]。満34歳を迎える1926年(大正15年)、ジェームズ・A・フィッツジェラルドが監督した The Wives of the Prophet を最後に映画界を去り、トーキー時代の出演作はない[1]。 引退から約50年後の1975年(昭和50年)11月12日、マサチューセッツ州プリマスで死去した[1]。満83歳没。 おもなフィルモグラフィすべて出演作である[1]。1908年 - 1915年の時期の74作におよぶ出演作[1]については、おもなものに留めた。 1900年代
1910年代
1920年代
関連事項
脚注外部リンク |