ローランド・TR-808

TR-808
TR-808
TR-808
TR-808
製造 ローランド
販売期間 1980年1983年
価格 1195ドル
スペック
最大同時発音数 12
ティンバー 12
オシレータ 音量、チューニング(一部楽器)、アタックまたはディケイの調節、トーンの調節
合成方式 アナログ減算方式
メモリ 32パターン、768小節
Input/output
鍵盤 16鍵
外部インタフェース DIN Sync in/out
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ローランド・TR-808(ろーらんど・てぃーあーるはちまるはち)は、ローランド社が1980年から1983年にかけて製造したドラムマシンである。一般に「808」の名前で知られる。また、日本では俗に「やおや」とも呼ばれる[1]。プリセットパターンを流すだけではなく、打ち込みを可能にした最初期のドラムマシンのひとつである。当時の競合機種であり、より高価であったリン・LM-1英語版と比較して、808はサンプル音声ではなく、アナログシンセサイザーで音声を生成した。電子音楽がまだ主流となっておらず、また、多くのプロデューサーが生演奏に近いドラムの音を求めたこともあり、808は商業的には失敗した。半導体素子の在庫がなくなったため、12,000台を製造したのち、ローランドは808を廃盤した。1983年には後継機としてTR-909が製造された。

中古市場に安価に出回っていたこと、使いやすさ、深くうなるようなバスドラムといった特異な音から、1980年代の間、808はアンダーグラウンドのミュージシャンの間でカルト的な人気を博した。同機種は、エレクトロニックヒップホップといった、当時揺籃期にあったジャンルの基礎を形づくり、マーヴィン・ゲイの「セクシャル・ヒーリング英語版」などを通して一般に普及した。同機種は、他のドラムマシンを差し置いて、多くのヒット曲において用いられるようになった。特に、ヒップホップにおける人気は、808をポップ音楽全体におけるもっとも影響力のある発明のひとつに押し上げた。808の音声は、音楽ソフトや現代のドラムマシーンに搭載されたほか、正規の許可を得ていないコピー品も多数生み出した。

特徴

808は、ユーザーがリズムパターンを1から設計できるはじめての機種であり、ブレイク英語版ロールなども備えることができた[2]。ステップシーケンサー(TR-REC)を用いて最大32のパターンを設定することができ[3]、これらのパターンを最大768小節までつなぎ合わせられた[4]。また、それぞれのビートに強勢英語版をつけることもできた[3]テンポおよび拍子も自由に設定でき[3][5]、4分の5拍子や8分の7拍子といった変拍子にも対応した[5]。各音声の音量はつまみにより調整できるほか、複数のオーディオ出力ポートおよび、MIDIの前身となるDIN Syncポートを搭載していた[3]。トリガー出力端子3つを装備しており、シンセサイザーをはじめとする音響機器と同期することができた[6]

サウンド

808は、バスドラムスネアドラムスネアドラムトムトムコンガリムショットクラベスハンドクラップ英語版マラカスカウベルシンバルハイハットといった、各種の打楽器の音声を模している[7]。808においてはサンプル音源を用いず、アナログ回路によってこれらのサウンドを生成しており、「TR-808」の「TR」は「transistor rhythm」の略である[8]。しかし、同機のサウンドは、実際の打楽器の音声とはあまり類似しておらず[9][10]、「カチカチした(clicky)[10]」「機械的な(robotic)[11]」「浮遊するような(spacey)[12]」「玩具のような(toy-like)[9]」「未来的な(futuristic)[9]」サウンドであると形容される。

Fact英語版』誌によれば、808のサウンドはシンセサイザーの音色とホワイトノイズの組み合わせであり、現実のドラムキットよりは「BBCレディオフォニック・ワークショップBBCサウンドエフェクト制作部門で、実験的な手法の採用で知られる)からの爆発音」に似ている[7]。『Music Technology』誌のティム・グッドイヤー(Tim Goodyer)は、808のカウベルの音を「不器用でぎこちなく、絶望的にピッチが低い」ものと紹介している[13]

同機種は、正弦波オシレーターローパスフィルター電圧制御増幅器から構築される、力強いバスドラムで知られる[14]。バスドラムのディケイを調整し、音声の持続時間を長くすると、サウンドの音程は下がっていくが、これが意図された設計であるかは定かでない[14]。『ザ・ニューヨーカー』誌は、このバスドラムこそが808を特徴づけていると論じている[11]

開発

背景

ドン・ルイス(2013年)

1960年代、ドラムマシンはもっぱら家庭用電子オルガンの伴奏に用いられていた。打ち込みをすることは不可能であり[15]ボサノヴァのリズムなどといった、プリセットのドラムパターンを再生することしかできなかった[9][12]。1969年、ハモンド・オルガン・カンパニー(Hammond Organ Company)はアメリカ人のミュージシャンおよびエンジニアであるドン・ルイス英語版を雇用し、エース電子工業製造のドラムマシンを内蔵した電子オルガンの実演をおこなった[15]サーキットベンディングによる電子楽器の改造が一般的になる数十年前から、ルイスは自ら改造した楽器によるパフォーマンスで知られていた。彼は、エース電子工業のドラムマシンに大規模な改造をほどこし、独自のリズムを作り上げたほか、オルガンのエクスプレッションペダル英語版をドラムマシンに配線し、パーカッションに強勢をつけるため用いた[15]

エース電子工業の創業者・社長であった梯郁太郎はルイスにかけあい、自社製品をどのようにして音作りに用いているのかを知ろうとした[15]。1972年、梯はローランドを創業し、ルイスをドラムマシンの設計のために雇用した[15]ローランド MC-8に代表されるように、1970年代後半までに、電子楽器にはマイクロプロセッサが組み込まれるようになった[16]。梯はこの技術を、ドラムマシンのプログラミングに応用できることに気づいた[3]。1978年、ローランドはCR-78をリリースした[16]。この機種は、ユーザーがリズムパターンを自由に打ち込み・保存・再生することのできる、はじめてのドラムマシンであった[3]

設計と販売

同種の後継機であるTR-808は、主にデモテープを作成するための用途を想定した、プロのアーティスト向けのドラムマシンであり[10]ユーザーがドラムシーケンスのチューニングやディケイ、レベルなどの各種パラメーターを自由に設定できる「ドラムシンセサイザー」として構想された[17]。808はリアルなドラムを再現しようと試みていたが、サンプリング音源を再生するためのメモリーチップは当時とても高価であったため、アナログシンセサイザーSYSTEM-700英語版で音作りをしたうえで、そのサウンドをTR-808のアナログ回路で再現するという手段が取られた[18]。梯は、発音を担う回路において、シズル感を与えるために、意図的に規格外品のトランジスタを購入した[11][18]。主任技師である室井誠は、808の音声回路の設計は「中村氏」に、ソフトウェアの設計は「松岡氏」によるものとした[3]

1980年、808は希望小売価格 US$1,195(2023年時点の$4,419と同等) で販売された[7]。ローランドは808を、Linn LM-1英語版の安価な代替機として売り込んだ。同機はリン・エレクトロニクス英語版社の製造で、実際のドラムキットをサンプリングした音源を用いていた[10][7]。『Contemporary Keyboard英語版』誌は808を「未来のリズムマシーンの標準になるだろう」と称賛した[2]。こうしたアーリーアダプターも存在したとはいえ[7]、808は商業的には失敗した[4]。売上台数は12,000台以下であり[19]、ローランドは1983年には同機種の製造を終了した[9]。これは、半導体の進歩により、同機の設計に不可欠であった、規格外品のトランジスタの入手が不可能になったあとであった[11]

後継機

TR-909(1983年発売)
TR-08(2017年発売)

808の後継機は、1983年発売のTR-909である。同機はローランドが発売したはじめてのサンプル音源を用いたドラムマシーンであり、808同様にテクノハウスアシッドといったエレクトロニックミュージックを中心に、影響を与えた[4]

808をサンプリングした音源は、プロペラヘッド・ソフトウェアが開発した初期のソフトウェアシンセサイザーである、ReBirth RB-338に搭載された[20]。『MusicTech英語版』のアンディ・ジョーンズ(Andy Jones)は、同ソフトは808のサウンドを初めてエミュレートした「際立って素晴らしい」ものであると述べている[20]。しかし、この音源は、2017年のローランドによる権利侵害申し立てにより、廃止された[20]。ローランド者は、1990年代のGroovebox英語版といったドラムマシンに、808をサンプリングした音源を搭載している[4]。2010年代に発売された、TR-8や[21]、TR-8Sにおいては、808のサウンドを電子的に再現した音源が用いられている[22]

2017年に発売されたTR-08は、808を小型化した機種であり、LEDディスプレイおよびスピーカーを搭載するほか、USB接続およびMIDI、シーケンサーの制御に対応する[23]。2018年には公式に808および909のソフトウェアエミュレーション版がリリースされた[24]。2019年にはベリンガーにより808の再現モデルである Behringer RD-8 Rhythm Designer が発売され、ローランドのモデルとは異なり、アナログ回路により808のサウンドを再現している[25]

受容

ハリウッド・ロック・ウォークに掲げられる梯郁太郎の手形(2016年)

808は商業的に失敗したにもかかわらず、最終的にはあらゆるドラムマシーンのなかで最もヒットレコードに使われる機種となり[26]、大衆音楽にもっとも大きな影響を与えた発明のひとつとなった[10][27]。1983年の発売終了以後、同機は中古市場に安価な価格で流れ、100ドル(2023年時点の$306と同等)以下で入手可能になった[7]。操作しやすく[10]、入手が容易であり、特異なサウンドを作ることのできるという性質から、808はアンダーグラウンドのミュージシャンやプロデューサーの間で、カルト的な人気を博した[7]。こうした背景のもと、808は当時発展途上のジャンルであった、エレクトロニックヒップホップの土台を築いた[12]

808のサンプリング音源は音楽ソフトウェアに一般的に搭載されており、正規の許可を得ていないコピー品も多数生み出した[9][28]。『Flavorwire英語版』は、同機のサウンドはあまりにも一般的になっており、「同機のリズムはそれ自体がひとつの言語のようになって」おり、ドラムマシンについてよく知らないリスナーですら808のサウンドは知っており、「もし誰かがめちゃめちゃな使い方をしたり、異様な文脈で用いたとしても、すぐ気づくことができる」と評している[29]。『DJMag』誌は2019年の記事で、808は過去40年間でもっとも用いられたドラムマシンであろうと記述している[17]デーモン・アルバーンディプロファットボーイ・スリムデヴィッド・ゲッタニュー・オーダーなど、808を用いているアーティストは数多く[12][30]ビースティ・ボーイズベックアウトキャストケリスT.I.リル・ウェインブリトニー・スピアーズビヨンセR・ケリーロビー・ウィリアムズなどが歌詞で808に言及している[7][12]。2019年9月3日、808は重要科学技術史資料(未来技術遺産)第00283号として登録された[31]

ヒップホップ

アフリカ・バンバータ(2009年)

808は音楽ジャンルとしてのヒップホップに著しい影響を与えており、ロックにおけるフェンダー・ストラトキャスターに相当するとも論じられる[32][33][34]。1982年には、アメリカのR&Bアーティストであるマーヴィン・ゲイが、808を用いた最初のヒットシングルである「セクシャル・ヒーリング英語版」をリリースした[12]。ゲイは、他のミュージシャンやプロデューサーとかかわらずに、ひとりで楽曲制作を進められるという理由から、同機を愛用した[11]。808がヒップホップにおいて広く使われるきっかけとなったのは、同年にアフリカ・バンバータソウルソニック・フォース英語版が「プラネット・ロック英語版」であると考えられている[12]。その後、Run-D.M.C.LL・クール・Jパブリック・エナミーといった草創期のヒップホップミュージシャンの多くが同機を採用した[11]。とりわけ、808のバスドラムはビートに必要不可欠なものとなり、Bomb Squad英語版所属のプロデューサーであるハンク・ショックリー(Hank Shocklee)は、「この音がなければヒップホップではない」とまで言っている[11]

アーティストは808のバスドラムを加工し、新しいサウンドを作ろうとした[10]。たとえば、リック・ルービンはバスドラムを引き伸ばし、この音声を楽曲のベースライン英語版として用いる手法を一般化させた[27]。また、ルービンは、1986年のビースティ・ボーイズ「ポール・リビア英語版」において、808の音源を逆生成した[35][10]。ラッパーのカニエ・ウェストは2008年の『808s & Heartbreak英語版』において全トラックに808を利用し[36]、『Slate』誌は「この機種に対する直球のラブレター」と評している[10]

808の利用はイースト・コースト・ヒップホップにおいては1990年代に衰微するものの、スリー・6・マフィアの楽曲に見られるように、サザン・ヒップホップにおいては主要なサウンドとして残った。南部のヒップホップはトラップの原型となり、808・マフィアのようなプロデューサーグループを生み出した[7]。『ザ・ニューヨーカー』誌は2015年の記事において、808はトラップといった、現代における「アーバンユースカルチャーのサウンドトラック」を基礎づけるものであると論じている[11]

エレクトロニック

イエロー・マジック・オーケストラ(2008年)

イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)は、1980年12月に行われた日本武道館での連続公演で、当時発売前であった808を利用した。さらに、1981年のアルバム『BGM』においても、全面的に同機種が用いられた[37]。「プラネット・ロック」をリリースしたアフリカ・バンバータは、YMOおよびクラフトワークから強い影響を受けていた[38]。「プラネット・ロック」はヒップホップだけでなくエレクトロニックと[29]、そのサブジャンルであるマイアミ・ベース英語版およびデトロイト・テクノに影響を与え、808を「未来的なサウンドの基本要素」とした[12]。『Slate英語版』誌は、同曲は「808を知らしめただけでなく、ポスト・ディスコのダンスミュージックを方向転換させた」と論じている[10]

イギリスのエレクトロニックユニットである808ステイトは、その名の通り808を多用した[7]。同ユニットのグラハム・マッシー英語版は「ローランドの機材は音楽界のエスペラントになった。この技術を通じて世界の隔たりは少なくなったし、そこには垢抜けた感じがあった。この機材を使えば、地元っぽい音楽性から脱却することができた」と語っている[9]レイブカルチャーが登場すると、808はイギリスのラジオにおける主要なサウンドのひとつとなった[12]。1990年代初頭には古代祐三が、『ベア・ナックル』のサウンドトラックに808を採用した[39]

ポップ

オーストラリアのユニットであるザ・モニターズ英語版の1981年のシングルである「Nobody Told Me」は、808がはじめて音盤に用いられた例として知られている[8]。『ザ・ニューヨーカー』によれば、808は、1983年から1986年にかけてポップミュージックが経験した「偉大な変革期のビッグバン」の契機となった[11]。『Slate』によれば、これ以降、ポップミュージックの従来の構成および和声進行は見直され、インストゥルメンタルは「無限にループを繰り返しながら変化する、シークエンスやパターンの断片であると考えられるようになった」[10]

アルゼンチンチャーリー・ガルシアは、1983年の『Clics modernos英語版』において、すべてのパーカッションに808を用いた[40]。また、トーキング・ヘッズデヴィッド・バーンは、1984年のライブ映像である「Stop Making Sense英語版」において、808のガンショットにあわせて「サイコ・キラー英語版」を演奏している[41]フィル・コリンズは、人間のドラマーが変化やフィルを加えたがるため、808はリズムを長時間ループさせるのに便利であると述べている[27]ホイットニー・ヒューストンは、1987年の「I Wanna Dance with Somebody」において、幅広い領域で808を用いている[42]

俳優、シンガーソングライターの星野源は自宅録音で使用している。 実家が八百屋だった事もあり愛称が「やおや」の本機にシンパシーを感じ、作業場のスタジオの名前にも「808」と付ける程好きな機材に挙げている。一人のミュージシャンやシンガーを取り上げるNHKの『星野源のおんがくこうろん』第8回で初めて音楽機材として「世界の音楽を変えたジャパニーズマシン 808」と言うサブタイトルで本機を取り上げた。

関連番組・映画

脚注

出典

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参考文献

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  • 田中雄二 著、田中雄二 編『TR-808<ヤオヤ>を作った神々 菊本忠男との対話 電子音楽 in JAPAN外伝』菊本忠男、DU BOOKS、2020年12月11日、[要ページ番号]頁。ISBN 978-4-86647-132-7 

関連項目