第5代準男爵となったサー・ジェイムズは1784年に、カウンティ・オヴ・ウェストモーランドにおけるラウザーのラウザー男爵(Baron Lowther, of Lowther in the County of Westmorland)、カウンティ・オヴ・ウェストモーランドにおけるケンダル男爵(Baron of the Barony of Kendal in the County of Westmorland)、カウンティ・オヴ・カンバーランドにおけるバラ男爵(Baron of the Barony of Burgh in the County of Cumberland)、ロンズデール子爵(Viscount Lonsdale)、ラウザー子爵(Viscount Lowther)およびロンズデール伯爵(Earl of Lonsdale、いずれもグレートブリテン貴族)に叙された[1]。しかし彼には子が生まれず爵位が一代で断絶することが予想されたため、1797年に加えて上述の初代準男爵の兄弟の玄孫であるサー・ウィリアム・ラウザー第2代準男爵(英語版)を相続人とするspecial remainder付きでカウンティ・オヴ・カンバーランドにおけるホワイトヘイヴンのラウザー男爵(Baron Lowther, of Whitehaven in the County of Cumberland)およびカウンティ・オヴ・カンバーランドにおけるホワイトヘイヴンのラウザー子爵(Viscount Lowther, of Whitehaven in the County of Cumberland)に叙された[2]。
1802年に初代ロンズデール伯爵ジェイムズは死去し、準男爵や1784年創設の爵位は断絶したが、ラウザー子爵はspecial remainderに従って、トーリー党所属庶民院議員を務めていたサー・ウィリアムが相続した。彼は1807年にカウンティ・オヴ・ウェストモーランドにおけるロンズデール伯爵(Earl of Lonsdale, in the County of Westmorland、連合王国貴族)に叙され[3]、ロンズデール伯爵が再興された。なお同年にガーター勲章も授けられている。