ロヘリオ・フネス・モリ
ロヘリオ・ガブリエル・フネス・モリ(Rogelio Gabriel Funes Mori, 1991年3月5日 - )は、アルゼンチン・メンドーサ出身のサッカー選手。リーガMX・UNAMプーマス所属。アルゼンチンとメキシコの元代表選手。ポジションはフォワード。 双子のラミロ・フネス・モリもサッカー選手で、現在はCAリーベル・プレートでプレーしている。 クラブ経歴初期アルゼンチン・メンドーサ州のメンドーサで生まれた。2001年に家族でアメリカ合衆国・アーリントンへと引っ越し、双子のラミロ・フネス・モリと共にワークマン中学、アーリントン高校へ通いサッカーをしていた。セントラル・ゴールド91というサッカーグループにラミロと共に数年所属。そこで2008年にダラスカップトーナメントで40ゴールを記録し、チームは24勝2分1敗の成績で地区優勝とエリアファイナリストになった。また、チームの監督に1994 FIFAワールドカップ・1998 FIFAワールドカップでサッカーナイジェリア代表メンバーのウチェ・オカフォーが務めていた。 スエノMLSというテレビのコンテストで優勝すると、FCダラスからオファーが届きユースチームに入団した。 リーベル・プレート2009年12月6日に1-3と敗戦したプリメーラ・ディビシオンのCAベレス・サルスフィエルド戦でCAリーベル・プレートの選手として出場し、プロとしてのキャリアをスタートした。その年の最後2試合のホームラシン・クルブ戦とアウェーCAティグレ戦に出場し、ティグレ戦で初ゴールを決めた。 プレシーズンに伝統チームが参加するトルネオス・デ・ベラーノの1つ、マル・デル・プラタで行われたコパ・デサフィロでライバルのボカ・ジュニアーズ相手にゴールを決め3-1の勝利に貢献した。 2010年5月9日のクラウスーラのラシン・クルブ戦で、11試合ぶりにゴールを決めた。この試合は、わずか24分の間に3ゴールを決め、初のハットトリックを達成した。1-5と敗戦した最終戦のCAティグレ相手に唯一のゴールを決めた。 2010年アペルトゥーラの開幕CAティグレ戦でアリエル・オルテガのアシストから90分にゴールを決めて1-0で勝利した。また、同じチーム相手に3試合で3ゴール決めた。第3節CAインデペンディエンテ戦では、前半の間に2ゴールを決め3-2で勝利した。アルセナルFC戦で今季4ゴール目を前半に決め1-0で勝利した。このように序盤の間はコンスタントにゴールを重ねていったが、これ以降ゴールを決めることが出来ず、クラブ史上初の降格の瞬間に立ち会った。 翌年プリメーラB・ナシオナルの舞台では、第5節のCSDデフェンサ・フスティシア戦で初ゴールを決め、第7節のクラブ・デ・ヒムナシア・イ・エスグリマ・ラ・プラタ戦で2ゴール目を決めた。22日のスポルティーボ・デサンパラドス戦では、自身と弟のラミロと共にゴールを決めるという特殊なケースを体験した。41年ぶりに開催されたコパ・アルヘンティーナのノックアウトステージでは、キルメスACとCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ相手に2ゴールを決め準決勝進出に貢献した。リーグ戦では、36日のCAボカ・ウニドス戦での得点が通算4ゴール目にして最後のゴールだった。 B・ナシオナルの最終日では、後半頭にフェルナンド・カベナギと交代で出場すると、ヘディングでダヴィド・トレゼゲの1ゴール目をアシストした。ディフェンスをかわしマルティン・アギーレにボールを出すとアギーレが倒されPKを獲得するも、キッカーのトレゼゲが外してしまい得点には結びつかなかった。今度は相手と空中戦に競い勝つと、クロスを上げ再びトレゼゲのゴールをアシストと尽力した。2アシスト共にトレゼゲのゴールへ繋がった。 2012年プリメーラでの開幕CAベルグラーノ戦でPKを失敗し、チームは1-2で敗戦した。次戦のエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ戦では、2ゴールを決め2-0で勝利した。 ベンフィカ2013年8月にプリメイラ・リーガのSLベンフィカに5年契約で移籍。 2014年7月、買い取りオプション付きの1年契約でエスキシェヒルスポルに期限付き移籍した[2]。 モンテレイ2015年6月にメキシコ・リーガMXのCFモンテレイに移籍[3]。モレリアとの親善試合でデビューを果たし、91分に得点を挙げ、3-2で勝利した[4]。 UNAM2024年1月9日、フリーでUNAMプーマスに加入した[5]。 代表経歴U-182009年4月24日に双子のラミロ・フネス・モリと共に初招集された。ドロレスで行われた初試合は1-0で勝利した。9月16日の試合で2キャップ目を記録した[6]。このカテゴリーで2試合プレーしたが、ゴールを決めることはできなかった。 U-20セルヒオ・バティスタ監督の下、プンタ・デル・エステで行われるU-20国際大会に出場するメンバーに選ばれた。しかし、CAリーベル・プレートのレオナルド・アストラーダ監督は、プレシーズンに帯同させるため参加を断った[7]。 U-20代表としての初試合U-23フランス代表戦で2ゴールを決めた[8]。 A代表2012年9月10日にアレハンドロ・サベーラ監督の下、ゴイアニアで行われるブラジル代表とのスーペルクラシコ・デ・ラス・アメリカに向け初招集され[9]、19日に初キャップを記録した。 しかし、アルゼンチン代表の主要試合 (FIFAワールドカップの南米予選やコパ・アメリカなど) の代表には招集されることがなかったため、2019年にメキシコ代表を目指すことを宣言。同年にメキシコ国籍を取得。2021年に2021 CONCACAFゴールドカップに出場。グループリーグ戦のグアテマラ戦でゴールを決めた。 個人成績クラブ
代表歴出場大会試合数
タイトル
脚注
外部リンク
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