ロバート・ジョン・ゴドフリー
ロバート・ジョン・ゴドフリー[1](Robert John Godfrey、1947年7月30日 - )は、イギリスの作曲家、ピアニストで、エニドの創設メンバーである。 略歴初期のキャリアイングランドのケント州にあるリーズ城の邸宅で生まれたゴドフリーは、その創設者であるジョージ・ライワードにより「思春期の人々のための治療的コミュニティ」とされた、テンターデンにあるフィンチデン・マナーで教育を受けており[2]、そこでの同窓生にはアレクシス・コーナーとトム・ロビンソンがいた。ピアノを弾き始めたのは12歳になってからだったが、ゴドフリーの才能は王立音楽大学、そして王立音楽アカデミーへの入学許可を得るのに十分なほど驚異的なものだった。彼はコンサート・ピアニストのマルコム・ビンズに師事し、その周りにはサー・マイケル・ティペット、ベンジャミン・ブリテン、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェがいた。 その後のキャリア1968年から1971年にかけて、ゴドフリーはバークレイ・ジェイムス・ハーヴェストにおける嘱託のミュージカル・ディレクターとなり[3]、オーケストラ・スタイルのロック・ミュージックを確立した初期のレコーディング作品に音楽的な貢献を果たした。その後、関係はバラバラになったが、その理由については記事によって異なっている[4][5]。1974年にカリスマ・レコード・レーベルは彼の最初のソロ作品『ハイペリオンの没落』をリリースした。当時、商業的に成功したわけではなかったが、この作品はコレクターズ・アイテムとなった。 ゴドフリーはゲイであり、これがバークレイ・ジェイムス・ハーヴェストから解雇された理由の1つであると主張した。「問題を引き起こしたのはバンドのガールフレンドだった」と彼は『クラシック・ロック』誌に語った。「彼らはランカシャーやヨークシャー地域の出身で、私みたいな同性愛者の男を、もっさりしたアクセントで扱うことはできませんでした(田舎者故に理解できなかったという意味)」[6]。 その後、エニドを結成した。 ゴドフリーは、2014年プログレッシブ・ミュージック・アワードでヴィジョナリー賞を受賞した[7]。 彼は、アルツハイマー病と診断されている[8]。2016年、病気を理由にエニドで演奏することから引退した。バンドでの最後の定期的なパフォーマンスは2016年4月2日に行われた[9]。しかし、2017年6月、ゴドフリーがその年の8月にエニドに加わり、8月5日に行われたロンドンのユニオン・チャペルにおける1回限りのパフォーマンスで70歳の誕生日を祝うことが発表された[10]。2018年4月末にエニドが発表した声明にて、ロバート・ジョン・ゴドフリーは結局アルツハイマー病に苦しむことはなく、バンドに戻ってくるかもしれないとされた。 ディスコグラフィリーダー・アルバム
エニド→詳細は「エニド § ディスコグラフィ」を参照
脚注
参考外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia