しかし6月14日の日付は、数件の最初の話に繰り返し出てくる日付である。特に、ブレイゼルを引用する話と、話が知らされた数時間後に送られたジョージ・ウィルコックス保安官Sheriff George Wilcox(ブレイゼルが最初に連絡した人)を引用するテレックスの中に、この日付が出てくる。ロズウェル陸軍飛行場からの最初の報告によるとこの発見は「先週のいつか」であったが、その記述はブレイゼルが実際に言ったことの四次のまた聞き話であったらしく、保安官を発見について彼らに連絡した人物として言及している[2]。ブレイゼルはロズウェル・デイリー・レコード紙Roswell Daily Recordに、彼と彼の息子が「広い範囲にゴムひも、スズ箔、いくぶん頑丈な紙、棒によって作られた輝く残骸がある」のを見た、と話した。彼はそれに少ししか注意を払わなかったが、7月4日に彼の息子、妻、娘を動員して物体をかき集めた[3]。もっと前にブレイゼルは物体の一部を収集しており、一緒にして包み、それをある藪の下に隠していた、と一部の話は叙述している[4]。
第509爆撃航空群の指揮官、ウィリアム・H・ブランチャード大佐(Colonel en:William H. Blanchard)は、テキサス州フォートワースにある第8航空軍のロジャー・M・レイミー准将General en:Roger M. Rameyにコンタクトを取り、レイミーは物体をフォートワース陸軍飛行場へと航空輸送するよう命令した。この基地で、アーヴィング・ニュートン准尉Warrant Officer Irving Newtonは、物体を気象観測用気球およびその「凧」であると同定するという、レイミーの予備的意見を承認した[4]。「凧」は地上から気球を追跡するのに使われたレーダー反射板へのニックネームである。物体が「気象観測用気球」であったと記述する、もう一つのニュースリリースが、こんどはフォートワース基地から発表された。
フォートワースでは、物体に由来すると言われる残骸の数枚のニュース写真がその日に撮られた。残骸は凧をつけた気象観測用気球の一般的記述と一致した。レイミー、トマス・J・デュボーズ大佐Col. en:Thomas J. Dubose、マーセルの三人は物体とともにポーズを取っていた。ブレイゼルは、その日のロズウェル・デイリー・レコード紙とAP通信によるインタビューの中で、「気象観測用気球」であるとする軍の断定をはねつけた。以前に牧場で彼が回収していた数個の他の気象観測用気球の例を出して、彼はこう言った。「私は自分が見つけたものはいかなる気象観測用気球でもないと確信している」[6]。この事件はすぐに忘れ去られた。
第二の報告書[9]は1997年に発表された。それによると、「回収された異星人の死体についての報告は、1956年6月26日に発生したKC97航空機の墜落事故の記憶や、1950年代に行われたハイダイヴ計画(Project High Dive)などの擬人ダミー回収の記憶が無意識のうちに変質したものであり、またそれらをもとにしてUFOマニアが創作した捏造であろう」とのことであった。最初の事件と航空機墜落事故との日付の違いについては、心理学的に説明可能な現象であるとされた。
ロズウェル異星人と彼らの乗り物がエドワーズ空軍基地へと輸送されたとするThe Roswell Incident に見られる主張についての言及は、ついでの記述を除いて、なされなかった。この本は次のような出来事の鎖を構築した。最初に異星人の死体は墜落現場で見られ、彼らの死体はデニスによって目撃された場所であるロズウェル基地へと輸送され、次いでフォートワース基地へと航空輸送され、最後にオハイオ州デイトンにあるライト・パターソン空軍基地に届けられた。ここが最後の知られている死体の場所である。これは、ある程度の部分がフランク・カウフマンとO・W・"パピー"・ヘンダーソン大尉Capt. O. W. "Pappy" Hendersonの証言から集成された話である。
この本はアーサー・E・エクソン准将General Arthur E. Exonによる話も紹介した。彼は回収された物体が置かれていたと主張される最後の場所に配置されていた将校であった。彼は、彼が邪悪な13人(Unholy Thirteen)と呼ぶ得体の知れないグループがあったと主張した。このグループは回収されたすべての物をコントロールしそれにアクセスしていた[18](p.231-234)。彼は後に言っている[19]:
スタントン・フリードマンの1992年の本、Crash at Corona[20](ドン・バーリナーDon Berlinerた文書に基づき、UFO回収について高レベルの隠蔽があったことを示した。これらの文書は1984年にあるUFO研究家の家に匿名で投函されたもので、後に大統領となるドワイト・アイゼンハワーへ提出された1952年の簡潔な報告書であると主張されている。その文書は、高レベルの政府機関を記述しており、彼らの目的はロズウェルで回収された異星人を調査ンはThe Roswell Incident のための調査のほとんどをやっており、Crash at Corona はその調査の上に組み立てられた。コロナは地理的にフォスター牧場の墜落現場に近いため、ロズウェルの代わりに題名にされた[20](p.ix)。
さまざまな研究家のあいだの論争の火蓋が切られた。フリードマンとバーリナーがバーネットの話をソコロ近くへと戻し、ジェラルド・アンダーソンGerald Andersonによる地点の新しい目撃談を紹介したのである。アンダーソンは落ちた異星人の乗り物と四人の異星人の生き生きとした叙述をもたらした。四人のうちの少なくとも一人は生存していた[20](p.90-97)。Crash at Corona が基礎とした証拠のほとんどは、UFO Crash at Roswell では「確かな論拠に基づかずに」無視されている、と著者たちは記している[20](p.206)。また「アンダーソンとランドルのあいだでの個性の衝突」はフリードマンがアンダーソンの主張を調査した著者であったことを意味するとも記している[20](p.89)。ところが、この本はUFO Crash at Roswell による出来事の推移から多くを採用している。そこでは、デニスの話に基づいて、まず異星人はロズウェル陸軍飛行場で見られ、そしてフォートワースへと輸送され、次いでライト基地へと輸送されたとされる。
1994年、ランドルとシュミットは第二の本、The Truth about the UFO Crash at Roswell[21](邦訳:『ロズウェルに堕ちたUFO』[22])を出版した。彼らの前の本UFO Crash at Roswell に詳しく説明されていた事例の多くを再び述べているが、新しいより発展した異星人の話が含まれており、異星人が回収された新しい位置が詳細に説明されていた。さらに、出来事の推移に関してほとんど完全に新しいシナリオを詳しく説明した。
ロズウェル研究家たちのあいだの不一致はほかにもこの本の中に露呈している。一つの章の全てが、Crash at Corona とThe Roswell Incident の中心部分である、ソコロにおけるバーネットとアンダーソンの話を退けることに捧げられている。「...バーネットの話は、実際には、"ソコロの近くのサン・アグスティン"平原シナリオであり、信用を破棄されなくてはいけない」と、著者たちは言う[21](p.155)。一つの付録が、Crash at Corona のもう一つの中心的部分である、マジェスティック12文書を「でっち上げ」として記述することに捧げられている[21](p.187)。
1994年のThe Truth About the UFO Crash at Roswell の出版によって、真の出来事の推移と異星人の墜落現場と主張される場所について、UFOコミュニティのあいだに深刻な分裂が発生した[25](p.24)。CUFOS (Center for UFO Studies)とMUFON (Mutual UFO Network)は二つの主要なUFO組織であるが、ランドル/シュミットとフリードマン/バーリナーによって提示されたさまざまなシナリオをめぐって対立していた。食い違いを解決しようと試みるために数回の会議が開かれたほどである。議論の下にある問題の一つはバーネットが彼が遭遇したとされる異星人の乗り物を見たときに彼が、正確には、どこにいたのか、ということである。1992年の会議はCrash at Corona とUFO Crash at Roswell に描写されるさまざまなシナリオの中で共通見解に達しようと試みた。しかし、1994年のThe Truth About the UFO Crash at Roswell の出版はバーネット問題を単純に彼を無視し、異星人の乗り物が回収されたところに新しい場所を引用することによって「解決した」。そこには、バーネットの話が引き合いに出していた考古学者たちとは接点のない、新しい考古学者たちの一団が含まれていた[25](p.25)。
空軍報告は、異星人の回収について多くの著者たちがしている主張に懐疑論者たちが返答する際の基礎を形づくった。ただし、フィリップ・J・クラスPhilip J. Klassとロバート・トッドRobert Toddなどの、懐疑論者の研究家はすでに数年にわたって記事を発表していて、空軍がその結論を発表する前に異星人の話について疑いを提起していた。
1990年代までの新しい報告はロズウェル事件について単なる気象観測用気球の回収だけではなく、もっと更なることがあったことを示唆すると思われた。けれども、懐疑論者たちと、さらに一部の社会人類学者たち[25]は、そういった見かたをする代わりに、話の精巧さが増していくことを、ひとつの神話が構築されている証拠として理解した。1990年代中ごろの空軍報告の発表の後、1997年に出版されたカル・K・コーフKal K. Korffの本[17]をはじめとする数冊の本が、この報告に提出された証拠に基づいて「地球外の宇宙船の遺物が関与していたとする信頼できる証拠はない」と結論づけた[11]。
モーグル計画の実験が空軍報告の中に完全に記述され、それに続いて計画当事者たち、特にチャールズ・B・ムーアCharles B. Mooreによって飛行の再現がなされて[25](Ch.3)、コーフをはじめとする批評家たちは、目撃者たちが実際にはこの実験の一部を叙述していたことを示した。「疑問はいまやどのタイプの空想上の「地球外の」空飛ぶ円盤が、凧棒、その上に貼られたシンボルが印刷されたテープ、アルミフォイルでできているか?というものになった。答えはおそらくそんなものない、というものだ。しかしこれらはモーグル計画のデバイスの正確な構成要素である!」[17](p.155)。
最近のカール・T・フロックKarl T. Pflockは、彼の2001年の本[31]の中で、ランドルとシュミットのUFO Crash at Roswellについて同様の指摘をしている。約271人の人々が本書のために「接触されインタビューされた」人として本の中にリストされており、この数は匿名のままを選択した人たち、その他、を含んでいないため300人以上の「目撃者」たちがインタビューされたことを意味する。著者たちが頻繁に引き合いに出すとフロックが言う数字がこれである[31](p.176)。フロックによると、これらの300人強の個人のうち、41人だけが「ロズウェルまたはフォートワース陸軍飛行場の中または周りで出来事を真性に直接にまたは間接に目撃したと考えられ」、23人だけが「フォスター牧場から回収された残骸、物理的証拠を見ていたと筋を通って考えられる」。フロックによると、これらのうち7人だけが残骸がこの世のものとは思えない起源を持つとの何らかの示唆を断言している[31](p.177)。
フロックは2001年の手記で、異星人の死体の直接の知識を持ちロズウェルの著者たちによってインタビューされて認められたのは以下の四人だけの人々である、と記した: フランク・カウフマン; ジム・ラグズデイル; アルバート・ラヴジョイ・デュラン中佐Lt. Col. Albert Lovejoy Duran; ジェラルド・アンダーソン[31](p.118)。デュランDuranはThe Truth About the UFO Crash at Roswell の簡潔な脚注の中で言及されてから再び言及されたことはないが、フロックによると、他の3人は全員深刻な信用性の問題を持つ。
彼は一緒にポーズを取っていた物体が気球隊列の物体であるという指摘を受けた後、その物体は自分が回収したものでなかったと言うように話を変えてきた[7]。ロバート・G・トッドRobert G. Toddのような懐疑論者たちは、マーセルが、一人のパイロットであったと主張したり五つのエアメダルを受け取っていたりと、潤色と誇張の歴史を持っていたと主張する。そして彼の発展していくロズウェルの話はこれのもう一つの実例であった[32]。
UFO研究家は、残骸が単なる「気象観測用気球」だったとする報告に信用を与えるために、ブレイゼルが回収した残骸についての叙述を変えるように彼が脅迫された、と主張する。多数の目撃者の陳述は軍に拘置されたブレイゼルを叙述する。しかし、何十年も後からの目撃者の報告とは対照的に、懐疑論者たちは次のように主張する。当時の話によると、マック・ブレイゼルが記者会見に到着したとき、軍の護衛者と一緒ではなく、リポーターW・E・ホィットモアW. E. Whitmoreと一緒だった。ブレイゼルと一緒にいるホィットモアの存在は多くの他の目撃者たちによって確認されている。目撃者の中には、ブレイゼルが彼の父の家で一晩泊まっていたのを見たと思い出しているホィットモアの息子[31](p.154)と、ホィットモアは記者会見に出席し、そこで彼は「ほかの報道関係者からブレイゼルを遠ざけるのに彼のベストを尽くし」、そのため彼のインタビューが「スクープ」のままであったのだろう[31](p.170)[34]、と言う記者ジェイソン・ケラヒンJason Kellahinも含まれる。ブレイゼルが脅迫されていたことを示すのに使われる一つの目撃談は、ロズウェル・デイリー・リコード紙の編集者ポール・マケヴォイPaul McEvoyがもたらしたものである。彼はブレイゼルが軍の護衛者と一緒に到着したと言っている。しかし彼の自身の新聞がブレイゼルはホィットモアを伴って到着したと言っていることから、マケヴォイは隠蔽の一部を担っていたことにならなくてはいけないと思われる、とプリンティは指摘する[34]。
残骸が気象観測用気球にすぎないと考えていた、シェリダン・キャヴィットによる証言のほとんど全体が脱落していることは、神話構築のさらなる証拠である。彼の話がサブカルチャーの物語と食い違っていて、そのため「門番」たちによって脱落させられ拒否されたのだ。ジーグラーはこう言った。「これらのバージョン(Crash at Corona と二冊のランドル/シュミットの本)におけるキャヴィットによる陳述の欠落は彼の近づきがたさのせいだったのではないと思われる…むしろ、彼の陳述のほとんどが無視されたように見える…この件についての彼の陳述はそれらが「好ましくない」―すなわち、それらが伝統的な慣習とUFOコミュニティの信念に反する―からロズウェル神話のさまざまなバージョンから脱落させられたと推測するのが妥当である」。(p.45)
さらに、数人の顕著な目撃者たちがでっちあげを犯している、あるいは犯していると疑われていることが示された。フランク・カウフマンは1994年のランドルとシュミットの本The Truth About the UFO Crash at Roswell における異星人の報告の主要な情報源であり、彼の証言は空軍報告が編纂されたときに彼らによって「無視」された[38]。しかし、彼が2001年に死亡した後、彼が文書を偽造しロズウェルでの彼の役割を膨らませていたことが示された。ランドルとマーク・ロドガーMark Rodeghierは2002年の二つの記事の中でカウフマンの信用性を否定した[39]。
ロズウェル異星人の死体解剖がロズウェル基地で行われたことと彼と他の者たちが脅しを受けたことを証言した、グレン・デニスも疑われている。1998年にランドルはデニスを「最後の信用できる」ロズウェルの目撃者の一人だと考えた。ランドルとシュミットの1991年の本UFO Crash at Roswell の中で、デニスの話は目立って取り上げられていた。しかし、ランドルはデニスが「我々が看護師が存在しないことを証明するやいなや彼女の名前を変えてきた」ために信用できないと言っている[40]。デニスの話は研究家フロックによっても疑われている[要出典]。
写真分析・ドキュメンタリー・新主張
UFO研究家デヴィッド・ルディアックDavid Rudiakは、1947年の残骸を撮った写真の一つに写っている一片の紙が異星人が回収されたことを認める文章を含んでいると主張した。彼らは拡大したとき、レイミー准将が彼の手の中に握る紙の上の文章が「残骸の犠牲者victims of the wreck」の語を含み、他の句は墜落した乗り物の回収という文脈であるように思われると主張する[41]。ところが、この文書の解釈は文字と語が不明瞭なために疑わしい[42]。
2002年10月にSci Fi Channelはロズウェルのドキュメンタリーを放送したが、その前に彼らはワシントンUFOニュース会議を開いた。クリントン大統領の首席補佐官ジョン・ポデスタJohn Podestaは、政府にこの対象についての文書を公開させるのを助けるためにSci-Fiによって雇われた広報活動会社のメンバーとして現れた。ポデスタはこう言った、「政府が25年以上古い記録の機密解除しこの事象の本当の性質を決定するのを助けるデータを科学者たちに提供するときがきた」[44][45]。
2007年、ドナルド・シュミットと彼の新しい調査の相方であるトム・キャリーTom Careyは彼らが二人でなした最初の主要な仕事、"Witness to Roswell"を出版した[48]。この本の中で、著者たちは「引き続き増加していっている600人を超えるロズウェルでの出来事に直接または間接に関係する人々が最初の話―空飛ぶ円盤が回収されたという最初の主張―を支持している」と主張する[48](p.38)。
その後の出来事の推移はそれ以前に記述された出来事と似ているけれども、この本は異星人が回収された場所をフォスター牧場へと戻した。そこは1991年のUFO Crash at Roswell で言及されたのと同じ場所である。しかし、この時点でバーネットと考古学者たちはいないことになっている。シュミットと以前の相方ランドルが1994年のThe Truth about the UFO Crash at Roswell においてバーネットの主張を否定させる原因となった、バーネットの話にあった「大きな問題点」に触れながら、新しい本は1994年の本で言及されたロズウェル付近の地点は「いんちきということになった。それが一人の目撃者だと主張する人"フランク・カウフマン"の証言に基づいており、彼自身が偽情報の調達人であったことが後に発見されたからだ」とも記している[48](p.126-7)。1994年の本の冒頭で、彼による異星人の話が取り上げられ、一部の考古学者たちと一緒にいたと主張されていたジム・ラグズデイルは、新しい本では言及されていない。
『Area 51: The Roswell Incident』という環境音楽集CDが1997年にリリースされ、カナダのSynæsthesia、英国のHawkwind、およびドイツのタンジェリン・ドリームといったグループを取り上げた。「エリア51」の名前は他のUFO陰謀説に関連するネヴァダ州南部の空軍基地にちなむ。
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