ロイヤル・ジョージ (戦列艦・1788年)
ロイヤル・ジョージ(HMS Royal George)はイギリス海軍の100門1等戦列艦。当初アンパイア(HMS Umpire)という名前で発注されたが、建造前に改名された[2]。 建造この船は1782年3月25日にアンパイアという名前でチャタム工廠に発注された。しかし、建造作業が始まる前の1783年9月11日にロイヤル・ジョージと改名された[2]。設計はエドワード・ハントによるもので、全く同一の図面によって作られた戦列艦は1790年進水のクイーン・シャーロットのみだった[1]。ロイヤル・ジョージは1788年9月16日に進水した。建造と艤装はニコラス・フィリップスが1790年7月まで担当し、以降はジョン・ネルソンが完遂させた[3]。建造費は51,799ポンド5シリング7ペンスで、加えてチャタム工廠の設備費6,503ポンド8シリング5ペンスとプリマス工廠の設備費10,089ポンド12シリングがかかった[4]。この船は「ロイヤル・ジョージ」という名を襲名する軍艦としては5代目であった。 建造時は42ポンド(19kg)砲を下甲板に搭載していたが、後に32ポンド(15kg)砲に換装された[5]。 艦歴とエピソードロイヤル・ジョージはグロワ島の海戦でイギリス艦隊の旗艦を務め、また栄光の6月1日では後衛戦隊を指揮したアレグザンダー・フッド提督の座乗艦として将官旗をかかげた。 1805年7月にはチャタム工廠で再建造が行われた。翌年1806年7月には現役に復帰し、海峡艦隊に配備された。しかし、この年ロイヤル・ジョージがドックを出ていたのは7月の間だけだった。 1807年1月から1811年1月まで、ロイヤル・ジョージは主にカディス港封鎖任務に就いた[3][4]。 1807年3月のイギリスによるアレキサンドリア遠征においてはジョン・ダックワース提督の旗艦となった[6]。 1814年7月に予備艦となり、1822年2月にプリマスで解体された[1]。 脚注
参考文献
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