レフトウィッチ (駆逐艦)
USSレフトウィッチ (USS Leftwich, DD-984) は、アメリカ海軍の駆逐艦。スプルーアンス級駆逐艦の22番艦。艦名はウィリアム・G・レフトウィッチ中佐に因む。 艦歴レフトウィッチは1976年11月12日にミシシッピ州パスカグーラのインガルス造船所で起工し、1978年4月8日進水、1979年8月25日に就役した。就役から1985年3月までサンディエゴ海軍基地を母港として活動する。 1982年11月29日、レフトウィッチはフィリピンのスービック湾東40マイルの海域でトーマス・A・エジソン (USS Thomas A. Edison, SSBN-610) と衝突した。両艦共に演習参加中の出来事であった。トーマス・A・エジソンは衝突時、浮上準備にあり潜望鏡深度を航行していた。双方共に損傷し、スービック湾に帰投した。トーマス・A・エジソンはセイルと水平舵、ソナードームを損傷し、レフトウィッチは右舷シャフトおよびスクリューの羽二枚を損傷した。2ヶ月後にトーマス・A・エジソンは浮上したままピュージェット・サウンド海軍造船所に移動し、修理を受けること無く退役した。 1983年、レフトウィッチは荒海を高速航行したことで船体およびソナーウィンドウを損傷した。 1985年4月1日、母港が真珠湾海軍基地に変更される。レフトウィッチはその後退役まで真珠湾を母港として活動した。 レフトウィッチは第3対潜ヘリ飛行隊第5分遣隊と共に母港の真珠湾に到着した。5ヶ月半の展開で、レフトウィッチは200隻以上の商船の臨検を行った。レフトウィッチは初めてトマホーク巡航ミサイルを搭載した艦の内の一つで、実戦でトマホークを再搭載した最初の艦であった。ヘリコプターとSEALsを搭載し、初めてイラク領域を占領、戦時捕虜を捕獲した。そして、16回の戦闘捜索および救助任務に従事した。 その経歴中にレフトウィッチは8回の西太平洋、インド洋およびペルシャ湾での配備が行われた。湾岸戦争では砂漠の盾および砂漠の嵐作戦にも参加している。 レフトウィッチは1998年3月に退役した。その後2003年8月1日に標的艦として北緯22度48分47秒 西経160度34分00秒 / 北緯22.81306度 西経160.56667度の海域で海没処分された。 参照
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