レナト・カルロス・マルティンス・ジュニオール
レナチーニョ(Renatinho)ことレナト・カルロス・マルティンス・ジュニオール(Renato Carlos Martins Júnior, 1987年5月14日 - )は、ブラジル・サンパウロ州出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。 ロビーニョ2世との異名を持つ。実際ロビーニョとは仲が良いと、公式プロフィールで語っている。 経歴サントスFCユースから2005年にトップチームに昇格し、2007年のコパ・リベルタドーレスでは準決勝のグレミオFBPA戦で2ゴールを決めるなど[1]、ストライカーとして活躍。 2008年8月5日、Jリーグ・川崎フロンターレに期限付き移籍で入団した[2]。川崎での応援チャントの原曲は『崖の上のポニョ』。 加入当初はJリーグに馴染めず、スーパーサブとして起用された。しかし、2009年シーズンは関塚隆監督の指導により次第にチームにフィットし、ACLでは自身が「人生で初めて」と語るヘディングでのゴールを決めるなどして活躍し、レギュラーの座を勝ち取った。 2009年夏には期限付き移籍の期限切れに伴いスーペル・リーガへの移籍が有力視され、SLベンフィカからのオファーなどが報じられた。しかしサポーターの残留を求める声に応じて川崎との期限付き移籍延長を決めた。2009年11月9日のジェフユナイテッド市原・千葉戦ではプロ初となるハットトリックを達成した。 2010年8月にはクラブの守備を重視する方針もあって出場機会が減った[3]。これに対し、起用法に不満を訴え練習をたびたび拒否した[4][5]。一時は「してはいけないことをしてしまった」と反省の言葉を口にしていたが[6]、8月19日にはブラジルに無断帰国した[7]。サポーターは練習場に「残れレナチーニョ おれたちにはお前が必要だ」という横断幕を掲げるなど激励していた[8]。8月31日、ポルトガルのポルティモネンセSCへの期限付き移籍が発表された[9][10]。 2012年1月、元サッカー日本代表監督岡田武史率いる杭州緑城足球倶楽部へ移籍。 2017年2月、VONDS市原へ加入。日本へ7年ぶりに復帰した[11]。2017年シーズンは得点だけでなくアシストでも活躍し、リーグ最多の8アシストでアシスト王、更にベストイレブンに選出された[12]。 2018年シーズンは栃木ウーヴァFC所属の森島康仁と並びリーグ最多の17得点を挙げて得点王に輝き、2年連続でベストイレブンに選出された[13]。 2019年12月、退団が発表された[14]。 個人成績
タイトルクラブVONDS市原FC 個人
脚注
関連項目外部リンク
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