レスリー・アンダーソン
レスリー・アンダーソン・ステフェス(Leslie Anderson Stephes, 1982年3月30日 - )は、キューバ共和国カマグエイ州カマグエイ出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)。左投左打。 経歴キューバ時代キューバの名門体育大学であるマニュエル・ファハルド国立体育大学を卒業。 2000-2001シーズンから2008-2009シーズンまでキューバ国内リーグ(セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル)のガナデロス・デ・カマグエイに所属し、計9シーズンで864試合に出場。打率.326、92本塁打、518打点を記録した。また、2002年8月の第1回世界大学野球選手権大会では外野手のベストナインとなる[1]。2006年3月の第1回WBC・2009年3月の第2回WBCのキューバ代表に選出される[2]。同年9月にキューバから亡命し[3]、メキシコで居住権を確立した。 レイズ傘下時代![]() 2010年4月13日に、MLBのタンパベイ・レイズと4年総額172万5000ドルの契約を結ぶ[4]。 2011年2月に戦力外となり、マイナー契約に切り替えられた。2011年はAAA級ダーラム・ブルズでプレーし、121試合で打率.277・13本塁打・65打点・OPS.727を記録した。 その後も引き続きダーラムでプレーした。2012年は116試合で打率.309(インターナショナルリーグ3位)・14本塁打・56打点・OPS.805[5]。2013年は119試合で打率.292・14本塁打・74打点・OPS.832。結局MLBへは一度も昇格できず、日本に出場機会を求めて12月28日に読売ジャイアンツと契約する[6]。 巨人時代2014年は開幕戦の阪神タイガース戦に7番・左翼手で先発し、鶴直人から来日初本塁打を放った。4月26日の広島戦で球団第79代4番打者に座り、初回に内野ゴロの間に打点、5回に適時内野安打、7回にはダメ押し本塁打など4打点を記録[7]するなど開幕から打撃好調だったが、5月13日の東京ヤクルトスワローズ戦で走塁の際に右大腿二頭筋に肉離れを起こし、翌日出場選手登録を抹消された[8]。後に復帰するが8月6日には左ひじ関節炎で二度目の登録抹消[9]。9月15日に再復帰し、5番スタメンで出場した同月26日の横浜DeNAベイスターズ戦では、井納翔一からダメ押し2ランを打ちチームの優勝決定に貢献した。シーズンの出場は87試合で規定打席には未到達ながら、15本塁打、50打点、打率.319の成績を残した。阪神とのCSでは16打数7安打の打率.438をマークし、短期決戦での勝負強さを見せた。オフには左肘のクリーニング手術を敢行。 2015年は83試合に出場、オフに年俸500万円ダウンで契約更改する。 2016年は春季キャンプ中に左肘に違和感を訴え、2月23日に関節鏡視下形成手術を行い[10]、5月下旬に3試合出場したのみで、シーズン終了後自由契約となる。 巨人退団後2017年はリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのレオン・ブラボーズと契約したが、5月29日に解雇となる。 2018年は所属球団なく、2019年-2020年シーズンからキューバ国内リーグ・セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルのガナデロス・デ・カマグエイに復帰。キューバから亡命してMLBと契約した過去を持つ選手がキューバ国内リーグに復帰した例は、エリスベル・アルエバルエナに次ぐ2例目となる[11]。 選手としての特徴広角に打ち分ける事が出来る左の中距離打者[12]。高い身体能力を備えた外野手であり、外野3ポジションに加えて一塁手もこなせる[13](ただし、レイズ傘下では外野は両翼のみで中堅手は守っていない)。第2回WBCでは正一塁手としてプレーしている。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
表彰
背番号
登場曲
代表歴
脚注
関連項目外部リンク
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