レオン (ブルターニュ)レオンまたはペイ・ド・レオン (Léon 、Pays de Léon、Léonais[1]、ブルトン語:bro Leon)は、フランス、ブルターニュの地方。レオン司教区に相当するかつての伯領であった。古い名をLoonoisといった[2]。一時はレオン子爵やレオン領主が治めたがその後分割された。レオンには男爵領、代官区が含まれ、徴税の行われる管区でもあった。 東側の境界はモルレー川、南側はアレ山地のふもと、コルヌアイユとの境界はエロルン川である。モルレーの町はモルレー川左岸にあり、右岸はトレゴール地方となる。 中世にはレオン司教が当時率いるレオン子爵領の他、1185年にブルターニュ公ジョフロワ2世が設置したブルターニュ三部会(fr)に出席する7つの男爵領の1つがレオンであった。地方の政権をレオン司教伯が握っていたとき、男爵領をたやすく手中に収めたのはロアン家で、14世紀に彼らはレオン子爵領の相続人となった。そしてロアン家はペイ・ド・ヴァンヌテにおいてもロアン男爵領を所有していた。ロアン家は、ブルターニュ女公アンヌ・ド・ブルターニュがフランス王シャルル8世と1491年に結婚したことによって、アンヌがブルターニュ公国の宗主権を失ったとみなし、1491年以降レオン公(prince du Léon)の称号を名乗るようになった(レオンが正式に公爵領であったことはない)。現在でもレオン公の称号は儀礼称号として残っており、現ロアン公爵ジョスラン・ド・ロアン(fr、元ブルターニュ地域圏知事でもある政治家)の長男アラン・ド・ロアンがレオン公を名乗っている。 レオン住民は隣接するトレゴール住民やコルヌアイユの住民に対して、伝統的に強い競争心をもっており、『三者とも同じフィニステール県人であるが、レオン住民はコルヌアイユ住民ではないし、トレゴール住民と混同してはならない。』という格言があるほどである[3]。レオン住民は非常に宗教心が篤く、保守的で、ビジネスに長けており、宗教心がレオン住民より浅く、良い暮らしを求めるその隣人たちとは異なる。現代の政治では、レオン住民は伝統的に右派に投票する傾向にあるが、トレゴールやコルヌアイユはより左派寄りである[4]。 レオンの主要コミューン
脚注
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