レイミン・グドゥアン
レイミン・ヨハイロ・グドゥアン・ガルシア(Reymin Yojairo Guduan Garcia,[注 1] 1992年3月16日 - )は、ドミニカ共和国サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。 メディアによってはグデュアンと表記されることもある。 経歴プロ入りとアストロズ時代2009年9月にアマチュア・フリーエージェントでヒューストン・アストロズと契約してプロ入り。 2010年に傘下のルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・アストロズでプロデビュー。15試合(先発4試合)に登板して1勝2敗、防御率11.95、19奪三振を記録した。 2011年もルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・アストロズでプレーし、13試合に先発登板して1勝3敗、防御率2.17、61奪三振を記録した。 2012年にアメリカ合衆国本土へ渡り、ルーキー級ガルフ・コーストリーグ・アストロズでプレー。この年は8試合(先発3試合)に登板して1勝1敗、防御率5.40、16奪三振を記録した。 2013年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・アストロズとAAA級オクラホマシティ・レッドホークスでプレーし、2球団合計で11試合(先発2試合)に登板して0勝1敗、防御率4.30、32奪三振を記録した。 2014年はアパラチアンリーグのルーキー級グリーンビル・アストロズでプレーし、14試合に先発登板して5勝4敗、防御率6.45、53奪三振を記録した。 2015年はA級クァッドシティ・リバーバンディッツ、A+級ランカスター・ジェットホークス、AA級コーパスクリスティ・フックスでプレーし、3球団合計で35試合に登板して4勝6敗4セーブ、防御率5.52、59奪三振を記録した。 2016年はAA級コーパスクリスティとAAA級フレズノ・グリズリーズ[注 2]でプレーし、2球団合計で43試合に登板して3勝3敗2セーブ、防御率4.18、63奪三振を記録した。オフの11月5日に40人枠入りした[3]。 2017年はAAA級フレズノで開幕を迎え、5月31日にメジャー初昇格を果たした。同日のミネソタ・ツインズ戦でメジャーデビュー[4]。この年はMLBで22試合に登板して防御率7.88、16奪三振を記録した。 2019年9月3日にDFAとなり[5]、5日にFAとなった[6]。 ドジャース傘下時代2019年12月2日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び、2020年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。 2020年オフの11月2日にFAとなった[6]。 アスレチックス時代2020年12月14日にオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結んだ。 2021年4月1日にトレバー・ローゼンタールが故障者リスト入りしたチーム事情からメジャー契約を結び、開幕ロースター入りした[7]。同日の古巣アストロズとのシーズン開幕戦に登板し、2年ぶりにMLBに復帰した[8]。5月28日に故障者リスト入りの後、復帰した6月8日にDFAとなり、10日にマイナー契約で傘下のAAA級ラスベガス・アビエイターズへ配属された[6]。オフの11月7日にFAとなった[6]。 メキシカンリーグ時代2022年4月21日にメキシカンリーグのユカタン・ライオンズと契約した。主にクローザーとして31試合に登板し、1勝3敗13セーブ、防御率3.90の成績を残したが[9]、7月14日に自由契約となった[6]。8月にはティフアナ・ブルズ契約したが、同年限りで退団した[10]。 米独立リーグ時代2023年は、独立リーグ・フロンティアリーグのトリシティ・バレーキャッツでプレーした[11]。 台鋼時代2024年1月26日、台湾プロ野球の台鋼ホークスと契約した[12]。8月31日の外国人枠の登録期限を前に、チームが吉田一将と契約したことにより支配下選手登録を抹消され、9月16日に自由契約公示された[13]。 投球スタイル最速99mph[注 3]・平均96mph[注 4]フォーシームを、平均87mph[注 5]スライダーを使用する[注 6]。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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